ざっくり雑記

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呼吸による癒し

 

仏陀の説く悟りへ至る様々な方法のうち、特に呼吸を利用する方法について書かれた経典に基づき、悟りへ至る道筋を詳細に解説する一冊。

 

悟りの要点は言葉にすると簡単だが、その本質を理解し、さらに実践するのは非常に困難であるのは、仏道修行に一生を捧げて励む人がいることから明らかだ。

 

その困難な過程を少しでも効率的に、適切にこなすために、様々な方便が考案され、時には方便の違いが宗派の分裂さえ招いた。

 

本書が取り扱うのは、その方便の中でも、生活に不可欠でありながら、その本質においては深遠な仏陀の教えを具現化する神秘的な生体活動である呼吸を主役にした修行法である。

 

悟りを妨げる問題は数あるが、そのうちの重大なものの一つは、われわれ人間には、悟りの境地へ驀進したり、首尾よくその境地にたどり着いても、そこにとどまるだけの集中力がないことだ。

 

仏陀が在世した古代インドにおいてもその集中力の獲得や維持が難しかったというのに、注意を惹く刺激が氾濫する現代においては、さらにその道は険しい。

 

内外から襲い来る莫大な量の刺激によって、悟りへ向けた集中力が散乱してしまったときに、焦点を再び合わせるためのランドマークとして有用なのが呼吸であると、本書で解説する経典では説いている。

 

また、俗世から隔たった寺院や森の奥にこもって修行することも悟りを開くためには重要だが、人生のそれ以外の全部を占める日常生活もまたかけがえのない修行であると著者は説く。

 

静謐な寺院の奥で座禅を組んでいようが、喧騒に満ち溢れた俗世の巷で塵埃にまみれていようが、生まれてから死ぬまで呼吸という生体活動はついて回る。

 

そして悟りとは、いかなる状況においても常に開かれてこその悟りであるがゆえに、常に生命について回る呼吸は、悟りの象徴としてこの上なくふさわしく、また実際に悟りへ至る道筋を示すガイドとしてもこの上もなく実用的である。

 

仏教というと仏様とか菩薩様とか、偶像をあがめる形式の他の宗教と一緒くたにとらえられがちだが、その源流にあたる古代仏教は、むしろどこまでも現実的で、信仰に立脚するいわゆる宗教とは一線を画する。

 

本書の雰囲気も、スピリチュアルというよりは、ビジネスマン向けのハウツー本のようにドライでリアリスティックだ。

 

部外者にはうかがい知れない、仏教の修行というものの具体的な実際の一端を垣間見れる、とっつきやすい一冊となっている。

 

当たり前だが、この本を読んだだけでは悟りを開くことはできない。

 

それは、サッカーワールドカップの決勝戦を見ただけで、一流のサッカー選手になれるはずがないのと同じだ。

 

この本はあくまで、ワールドカップの決勝戦で活躍するレベルのサッカー選手がどのような練習を積み、どのような生活を送っているかを解説する本である。

 

幸いなことに、悟りを開くのにはサッカーボールもサッカー場も必要なく、生まれつき誰もが持っている呼吸を用いるだけだから、世界中で何よりも手軽に取り組める。