ざっくり雑記

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禍いの科学

人類の生活を豊かにしてくれるテクノロジーの負の側面を、誤った用い方によって多くの人々に禍いをもたらすことになった数々の具体的エピソードを引用し、豊富な傍証に駆使して綿密な検証を加えて解説し、浮き彫りになったテクノロジーが禍いと化す原理を教訓として提示する本。

 

テクノロジーは目覚ましい速度で開発・発展し、その速度は等比級数的に加速の一途をたどって我々の世界を日々豊かなものへ変革しているが、一方で、テクノロジーを適正かつ安全に取り扱い、その恩恵を効果的に享受し、不利益を可能な限り削減する、「テクノロジーを扱うテクノロジー」の進歩は遅々としており、しばしば全く等閑視されている。

 

人類の過ちとその反省をテーマにした著作は少なくなく、ルポルタージュやドキュメンタリーというよりも歴史読み物のカテゴリに分類されるような、相当の年月の隔壁の向こうに既に隔離され無害化された題材を取り上げているものがほとんど、という印象を個人的には持っていたが、本書で取り上げられる題材にはごく最近、21世紀に入ってもその悪影響が広範囲に及んでいたものや、今もなお色濃い影響下に相当数の社会や人々が囚われ、実害が現在進行形で猛威を振るっているものもあり、本書を読み進めるうちに、過去の人々の過ちを他人事として眺める未来人の余裕はあっさりと崩され、自らも「禍い」の渦中にいるしがない被害者、あるいは加害者の一人にすぎないと思い知らされる。

 

個人的にショックだったのは、叙情豊かな文章で殺虫剤が自然界にもたらす壊滅的な毒性を一般社会に強烈に訴えかけ、世界を突き動かす環境保護運動の潮流の火付け役となった、サイエンスライターであるレイチェル・カーソンの名著「沈黙の春」が、科学的根拠に乏しい、偏狭な主張を書き連ねた散文に過ぎず、さらには人々や自然を守りたいという著者の真摯な意図とは裏腹に、実際には多くの人命をいたずらに損ない、守りたかった自然すら傷つけてしまう惨禍の呼び水になってしまった「悪書」であったというエピソードだ。

 

だいぶ前に「沈黙の春」を読んで感銘を受け、著者の理念に賛同していただけに、このエピソードには強いショックを受け、少なからず落ち込んだ。

 

科学というものの取り扱いには用心深い警戒が必要なことが身に染みてよくわかる一冊。

 

もちろん、本書の記述をそのまま無批判に鵜呑みにして、受け売りの理念を元に行動をやめたり起こしたりするのも、本書が警鐘を鳴らす迂闊な科学との接し方であり、一層「テクノロジーを扱うテクノロジー」の確立が嘱望される。