ざっくり雑記

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自由軌道

正統派SFの良作。

 

舞台は、ワームホールを利用した短時間での超長距離移動が可能になり、深宇宙にも人類と大企業の経済活動が進出した未来。

 

とある大企業はバイオテクノロジーによって、無重力空間での作業の効率性を高めた生態を有するクアディーという1000人もの人造人間を社の生体備品として創り出し、ロデオと呼ばれる惑星の衛星軌道上に建設された巨大な施設で養育し、来たるべき現場作業への就労を目指して技術訓練を施していた。

 

クアディーは生まれつき脚を腕に置き換えた四本腕の人間で、クアディーという名称はこの四本腕の4を表す言葉からきている。

 

無重力空間では脚で体重を支える必要がなくなる一方で、腕は多ければ多いほど作業効率が高まるので、クアディーはこの実用一点張りの思想に基づきデザインされた。

 

クアディーの生態は無脚四本腕という以外は人間と変わりなく、さらに生命力は過酷な宇宙空間に適応するために強化されており、旺盛な繁殖能力も有するため、所有主の大企業はクアディーを高コストの人工子宮を用いず自然繁殖させ、ゆくゆくは宇宙空間における優秀な技術者を様々な現場で活躍させる人材派遣事業の拡大を計画していた。

 

しかし、商用レベルの人工重力テクノロジーが競合他社によって開発されたことで、クアディーの作業能力の優位性が決定的に失われてしまう。

 

クアディー事業の将来性を絶望視した大企業は、クアディーたちの穏当な処分――つまり、不妊処置後に惑星ロデオ上に用意した収容所に幽閉する決定を下す。

 

丁度その処分が下されるタイミングで技術指導のためにクアディーの養育施設に招かれていた熟練技術者のレオは、教え子であるクアディーたちを大企業の都合で事実上飼い殺しの残酷な運命から救うため、驚くべき脱走計画に着手するというストーリー。

 

SFの醍醐味と呼べる特有の面白さは数多くあるだろうが、その一つに、突拍子もない設定で描かれるフィクションを、科学的な理論や描写を懸け橋にして現実世界と地続きにし、地に足の着いた現実感を付与できる点にあると思う。

 

もちろん、本作のような実証されていない仮説や架空の理論も設定に盛り込んだタイプのSFは、(現在のところ)現実ではありえない世界観であり、そういった意味では紛れもないファンタジーであり、現実感をうんぬんするのは的外れかもしれない。

 

だが、科学を万能視する現代人には、科学的な表現や論法の説得力はてきめんに強い。

 

それは、科学的なみてくれを整えただけで、中身はインチキなでたらめに過ぎない似非科学が大手を振って横行し、まんまと騙される被害者が後を絶たない社会の実情が何よりも確かに実証している。

 

科学的表現や論法が持つ強力な説得力について否定的な例を挙げてしまったが、これを作劇に善用すれば、日常生活では到底味わえない想像力の限界を超えたSFの世界観に没頭する最高の導入剤になる。

 

クアディーという、無重力の宇宙空間に隔離された会社の施設で生まれ育った年端もいかない1000人もの四本腕の生体工具の、物事の捉え方や感情の揺れ動き、行動原理がどういうものか……生まれた時から地球の重力に縛られ地上をはい回る二腕二脚の私たちには想像もつかない世界観だが、著者のしっかりとした科学的見識と奥深い心理的考察と想像力が融合した三位一体の筆力によって、それが生き生きと描かれ、ともすれば自分までクアディーになったかのような錯覚を覚えかねない憑依状態にも達する臨場感があった。

 

サイエンスフィクションはあくまでフィクションだが、単なるフィクションと違うのは、フィクションであるのに、フィクションとは対極に位置するサイエンスのリアリティが求められるところにあると思う。

 

そういう意味で本書は、フィクションとリアリティという相矛盾した性質が同居するSFというジャンル特有の醍醐味を味わえる正統派SFの良作として楽しめる一冊だった。