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逆説の日本史2 古代怨霊編

日本史の定説を覆す大胆な逆説を展開する井沢元彦の逆説の日本史シリーズの二冊目。

 

本書では、聖徳太子や古代に属する天皇の業績を、日本の風土に根差した怨霊信仰の視点からとらえなおし、日本史学界の偏見と先入観に凝り固まった定説に正面から挑戦状を叩きつける。

 

聖徳太子は、日本史の古代を代表する最も有名な歴史上の人物の一人に挙げられるだろう。

 

その名前に含まれている「徳」は良い意味を持つ字であり、その字を含む名前も同様に良い意味を込めてつけられていると考えるのが普通であり、日本史学界の考える「定説」も、この一般感覚に倣った認識を支持している(というか当たり前のものとして頭から疑いなく受け入れ、わざわざ詳細な検証の俎上に上げていない)。

 

だが、著者はこの空気のように当然視されている「定説」に異議を唱える。

 

聖徳太子(と、同じく「徳」の字を贈られた幾人かの天皇)の諡号(死後につけられる名前)に込められた歴史上の本来の意味を、不遇の死を遂げ怨霊化した高貴な人間の祟りが、世間、ひいては天皇家に代表される政権に災いを為す、という怨霊信仰の視点から捉え直した日本史学界の常識に真っ向から対立する本書の考察は、スタンダードな日本史学者が重用を避ける異端の史料をもふんだんに用い、綿密に筋道を整えて重厚に構築された読み応えのある考察であり、次から次に興味深い謎を投げかけ読者の関心を捉えて離さない文章スタイルも相まって、相当の分量にも関わらずすいすいと読み進められた。

 

記録技術の未熟や時の経過による記録の劣化により、現代に遺された信用できる古代の史料は少なく、当時の世界の実態を浮き彫るには、どうしても推測に頼る部分が大きくなる。

 

それゆえ、古代という歴史の記述には歴史家の思想が介在する余地が大きく、実態との懸隔が甚だしくなる危険性があるが、それは同時にロマンを詰め込める未踏の空白でもある。

 

本書の歴史に対する情熱溢れる語り口を辿ることで、歴史への興味が薄い想像力に乏しい自分のような人間でも、前述のロマンに象徴される歴史の魅力の一端に気安く触れられ、にわか歴史ファンに宗旨替えしてこの奥深い世界に入信できるのではと、淡い期待を抱かせてくれる。

 

歴史を単なる紙と墨からなる古びた事実の羅列ではなく、現代にまでその熱が波及するほどの熱い血潮をたぎらせた人間たちの膨大な営為の総体として、生々しく追体験させてくれる優れた臨場感を備えた一冊。