ざっくり雑記

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デリバリールーム

 

参加者全員が漏れなく妊婦のデスゲームノベル

 

デスゲームというジャンルは名作バトルロワイアルの興行的成功以降、コンテンツ業界に一定の地位を確立していまだに根強い人気を博している息の長いジャンルだが、それだけに競争も激しく、設定や展開もおよそ出尽くして、先達や同輩と差別化を図り一歩抜きんでるのが難しい、血に染まったレッドオーシャンなジャンルでもある。

 

だがそんなあらかたしゃぶりつくされた感のあるデスゲーム系コンテンツにおいても、本作における参加者全員が安定期を過ぎた妊婦という設定は、空前にして絶後ではないかと断言してしまってもいいほど斬新で独創性に溢れている。

 

さらに本作のすごいところは、妊婦という設定が同ジャンルの他作との差別化を狙った奇をてらっただけの変化球ではなく、実のところデスゲームというジャンルの本質に切り込んだ王道を行く、ど真ん中ストレートの剛速球である点にある。

 

それほどに、デスゲームと妊婦の取り合わせは相性がいい。

 

デスゲームが面白いのは、参加者全員がかけがえのない命をチップとした競争を強いられ、本来なら娯楽のための遊戯に過ぎないゲームという状況に全身全霊で挑まざるを得ないからだ。

 

デスゲームに限らず、ゲームを題材にしたコンテンツは山ほどあるが、作品の面白さを決定づける要素に、参加者のやる気がある。

 

取り上げるゲームが秀逸なつくりをしていて、参加者の人物像が軒並み魅力的でも、参加者に真剣みがなく、白けた雰囲気の中で進行するゲームなど、誰が見ても面白くない。

 

参加者が真剣で、全力を尽くしてプレイするならば、じゃんけんとて最高級のエンターテイメントになることは、ジョジョの奇妙な冒険第四部における岸部露伴とじゃんけん小僧との死闘を引き合いに出すまでもない事実だ。

 

尽くすのが全力を越えた死力であればなおさらである。

 

ギャンブルにおいて賭けられる軍資金が少なければ少ないほど、かつ大切であれば大切であるほどプレイヤーは真剣になるが、命というチップはその最たるものである。

 

ゆえにデスゲームという設定は、シンプルながら、参加者のゲームに対する意欲を一定以上のボルテージで担保してくれる、ゲームを題材にした物語に非常にパワフルな説得力を安易に付与できる便利な変圧器として使いまわされている。

 

だが同時に、それは制限にもなっている。

 

普通の人間には、命は一つしかない。

 

一つしかない命を賭けるからこそのデスゲームだが、逆に捉えれば、デスゲームとは、命を一つ以上失うリスクがないゲームともいえる。

 

もちろん一人以上の命が賭けられているデスゲームもあり、それはそれで非常に面白い作品もある。

 

だがそれはあくまで他人の命であり、本質的には何の関連性もない無関係な事物であり、そこに参加者本人の命と同等以上の思い入れを持たせようとすれば、物語を面白くするうえで、参加者が相当の思い入れを他人の命に抱く心理や背景を説得力をもって説明する手間や表現力が作者に要求される。

 

それができるならば、そもそも賭けるものは命に限らず、お金でもペットでもインクの切れたボールペン一本でも、それこそ形のない意地やプライドや他人には理解しがたい変質的なこだわりでも何でもよく、わざわざデスゲームというジャンルを選択する必然性はない。

 

その観点からすると、デスゲームは、参加者のやる気の下限底上げのメリットと表裏一体の上限の制限というデメリットにどうしようもなく縛られている。

 

妊婦という設定は、デスゲームが本質的に抱えた上記の上限を取っ払うブレイクスルーだ。

 

妊婦は本来なら人間が一つしか持ちえない命を二つ(以上)持つ存在であり、ゲームに懸ける思いも比例して大きくなるのは当然である。

 

本作のデスゲームにおける真剣さの度合いは、一つの命を賭けるのが通例となっている他作と一線を、そして一身を画している。

 

もちろん、妊婦とお腹の中の胎児は極論すれば別個の命だが、妊婦の命が生理的に胎児の命と直結し連動している点で、二つの命はこれ以上ない一蓮托生の関係にある。

 

そして本作のデスゲームの参加者は、個々の事情の違いはあれ、勝者に「幸福で安全な出産」の権利を約束する謎の組織が主催するゲームに自らの意思で身を投じざるを得ない選りすぐりの特殊な事情を抱えた妊婦たちであり、子供の命に対する思い入れが並々ならぬものであるのは明白であり、一般的なデスゲーム参加者よりモチベーションのボルテージははるかに高い。

 

妊婦とデスゲームという、組み合わせるだけで物語に通常のデスゲーム以上の深刻な重みを付加する意外な取り合わせを発見した作者の目の付け所と、その人跡未踏の題材を見事に調理してエンターテイメントに昇華した筆力には感服する。

 

ゲームに臨む妊婦たちの、ただでさえ強力な意気込みをさらにダメ押しでブーストする人物像や背景の描写は、現実の社会で妊婦たちを苦しめている現在進行形の様々な問題を取り込み混成し凝縮したもので、時に妊婦でも何でもない自分ですら背筋が寒くなる悲惨な実態が、架空の物語越しでも生々しく伝わって来る。

 

登場人物が陥っている陰鬱な状況の迫真の描写に、的外れなことはわかっていても寒々とした共感を覚えずにはいられず、いつの間にか読者であり男である自分自身がデスゲームの結果に一喜一憂するほど引き込まれてしまっていた。

 

妊婦のデスゲームという、現実の社会的問題と切っても切れない由々しくグロテスクなテーマを取り扱いながらも、結末は意外にも爽やかで、パステルカラーを基調としたかわいらしい少女が分娩台の上で溶け崩れているおどろおどろしい表紙からは想像もつかないすっきりとした読後感の作品となっている。