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ポーカー・ナイト 監禁脱出

 

ポーカー・ナイト 監禁脱出(字幕版)

ポーカー・ナイト 監禁脱出(字幕版)

  • 発売日: 2017/11/27
  • メディア: Prime Video
 

 奇怪な覆面の殺人鬼に、恋人とともに監禁された若手警察官の奮闘を描くスリラー映画。

 

以下の文中には映画の内容に関する重大なネタバレが含まれます。

 

この個人的なブログを読む数少ない方で、さらに今後ポーカー・ナイトを観る予定があるという方はさらに僅少かと思われますが、念のため一応ネタバレについての注意喚起をしておきます。

 

表題のポーカー・ナイトとは、経験豊かな先輩警察官が昇進を控えた若手をポーカーの集まりに招待して、ゲームをしながら教訓となる逸話を披露する、劇中の警察署オリジナルのオリエンテーションを兼ねた一種のイニシエーションを指す。

 

若手警察官はポーカー・ナイトで、ピンチをチャンスに変える機転や、いかなる苦境に陥っても逆転を信じて最後まで努力を放棄しない忍耐の重要性を、先輩警察官たちの実体験に基づく興味深いエピソードを通じて学ぶ。

 

主人公の警察官・ジーターは、ある日突然謎の殺人鬼に恋人ともども誘拐され、どことも知れぬ密室に監禁される。

 

この誘拐事件の少し前にポーカー・ナイトに参加していたジーターは、先輩警察官の含蓄に富んだ教えを思い起こしながら、監禁状態からの脱出と恋人の救出を試みるが、いいところまで行くものの、殺人鬼の陰険で狡猾な立ち回りは常に彼の一枚上手をいき、なかなか脱出できない。

 

その過程でジーターは殺人鬼の巧妙な罠にはまり、恋人の父親である先輩警察官を犯人と誤認して射殺してしまうという恐ろしい過ちを犯す。

 

更には密室からの脱出に成功したものの、犯人の周到なお膳立てにより、今度は居合わせた警官たちに恋人を誘拐した犯人と誤認され銃撃を受け、瀕死の重傷を負った上に収監されてしまう。

 

事件後昏睡状態にあった恋人が目覚めて無実が証明された後に、ジーターは自分を陥れ逃亡した殺人鬼を執拗に追跡し、ついに追い詰め射殺する……

 

というエピソードを、今度はジーターが先輩警察官として後輩に物語るポーカー・ナイトのシーンに時が飛ぶというエンディングになっている。

 

だが実は、ジーターが後輩に得意げに語っている、長年追ってついに射殺した覆面の殺人鬼もまた、最初の監禁事件でジーターが犯人と誤認されたのと同じ方法で仕立て上げられた、全くの別人だった。

 

つまりジーターは、またもや犯人の術中にまんまとはまり、先輩警察官に引き続き無実の別人を射殺してしまっただけでなく、肝心の犯人はいまだに野放しのままなのである。

 

なぜジーターが血も涙もない殺人鬼に、最初に監禁された時点で殺されるならともかく、こんな手の込んだ嫌がらせを長年にわたって受けるのかというと、彼が最初のポーカー・ナイトに参加する昇進のきっかけとなったある事件が発端となっている。

 

それは、以前通報を受けて調査していた所轄のコンテナ置き場で、たまたま発見した怪しい改造コンテナ内に吊るされた大量の死体を発見した際、現場に現れた覆面殺人鬼の師匠に当たる別の殺人鬼を出合い頭に射殺したという事件だ。

 

当然、このコンテナ内の大量の死体は射殺された師匠殺人鬼の犯行として片づけられ、ジーターは大量殺人鬼を成敗した英雄となり、この功績が昇進の決め手となったのだが、実はこの大量殺人を犯したのは覆面殺人鬼だった。

 

彼は、自分の殺人の業績の集大成にあたる死体コレクションを自慢するために師匠を招待したのだが、まさにその時にジーターが居合わせ、先行してコンテナ内に入室した師匠は運悪く殺されてしまったのだ。

 

ジーターに対し、師匠殺人鬼が殺された恨みもあるが、何よりも覆面殺人鬼が怒りを覚えたのは、自分の殺人の集大成ともいえる傑作コレクションが、師匠の犯行、つまり師匠の「手柄」として世間に誤って認知されてしまい、自己承認欲求を満たすための多大な苦労がすべて水泡に帰したことだった。

 

つまり、ジーターの「人間違い」を覆面殺人鬼は深く逆恨みしているのだ。

 

そこで覆面殺人鬼は、ジーターの功績となった「人間違い」に焦点を当て、当てこすりとしてひたすら彼に「人間違い」に起因する取り返しのつかない重大な過ちに手を染めさせ続けることで、ただ殺すだけでは到底癒せない甚大な怒りを解消しようとしたのだった。

 

本作の構成は、ストーリーの主軸となる監禁事件の進行と並行して、その前に催されたポーカー・ナイトの情景が、苦境を脱するために知恵を絞るジーターの回想として挿入される。

 

ポーカー・ナイトで先輩警察官が逸話を語る場面でも、その内容が印象的な再現ドラマとして挿入されるため、ジーターの監禁状態にある現在と、ポーカー・ナイトの過去と、先輩警察官の語る更なる過去の情景が錯綜する入れ子構造の各層の頻繁な往来に、視聴者もジーターとともに同行せざるを得ないのだが、混乱をきたしかねない構成にも関わらず、場面の切り替え表現や編集が秀逸なおかげか、しばらくすれば慣れてしまい、意外にもストーリーの追随には苦労しない。

 

そして最後の最後に、この物語そのものが、ジーターが監禁事件の何年も後のポーカー・ナイトで後輩に語るエピソードだったという、入れ子の最外層が提示されるどんでん返しで幕を閉じる。

 

だが、この物語の落ちは、この入れ子構造がまだ閉じていない点にある。

 

なぜなら、ジーターはまだ覆面殺人鬼にまつわる一連の事件を解決しておらず、この難事件から後輩に継承すべき確たる教訓を得ていないからだ。

 

教訓とは、先達の犯した失敗や陥った窮地と同じ轍を後輩に踏ませないよう垂れる、先立つ後知恵である。

 

だがジーターは最初の事件から失敗し続けている。

 

ポーカー・ナイトの教授側に居座っていても、実質は教訓を活かせておらず、また伝えるべき教訓を得てもいない。

 

それこそが覆面殺人鬼がジーターを落とし込んだ、いつまでも「間違い」から抜け出せない終わりなき過ちの連鎖という、陰険で執念深い手の込んだ復讐であり、本作の真の形式はジーターの成長物語ではなく、覆面殺人鬼の壮大な復讐劇だともいえる。

 

ネガティブなジーターのモノローグのおかげで、終始一貫して他人の後悔を追体験しているような陰鬱な雰囲気の映画だが、覆面殺人鬼の不気味さが際立つ独特なデザインのマスクや、細身で手足の長いスタイルに似合う少々大仰な芝居がかった仕草など、おぞましくも魅力的なビジュアルの数々から目が離せない作風となっており、覆面殺人鬼が独り勝ちするすっきりとしないバッドエンド映画ながらも、視聴後の満足感は十分な作品だった。