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未来世紀ブラジル

 

未来世紀ブラジル [Blu-ray]

未来世紀ブラジル [Blu-ray]

  • 発売日: 2012/02/03
  • メディア: Blu-ray
 

ディテールにこだわり抜いて作られたディストピア映画の金字塔。

 

以下ネタバレ注意。

 

画面に描かれたほぼすべての有形無形の事象が人為によるもの、つまり人工物である。

 

所狭しと林立する高層建築により空は覆われ、地面から生える自然に根差した草花の類も全編を通して殆ど登場せず、いわゆる「自然」は本作にはほとんど登場しない。

 

厳密にいえば、一切登場しないといってもいいかもしれない。

 

本来ままならない自然状態を、科学技術や社会制度によって極限まで排斥した世界が本作で描かれるディストピアメインフレームだ。

 

自然を支配下に置き、偶発する危険を排除し、便益だけを搾取するという人間の欲求の窮極状態が、本作では人工物のみで充溢した世界観で具現化されている。

 

ただし、本作では徹底的な人工物による世界の埋め尽くしに抗う唯一の自然物があり、その自然物と、すべての自然物を支配下に置くべく躍起になる社会との軋轢が巻き起こすすったもんだやドタバタが物語の核となっている。

 

その唯一の自然物とは人間だ。

 

皮肉にも、人間が理想とする統制された秩序が席巻した人工世界は、人間が自然の最後の残党として徹底した迫害に喘ぐディストピアに成り果ててしまっている。

 

窮極のディストピアは、人間の思惟の産物だけで構成されている。

 

そして人間はディストピアを実現するはるか以前の古来から、自身の思惟だけで構成されたある産物に親しんでいる。

 

それは夢だ。

 

夢こそは、人類が最初に獲得した、人間の思惟だけを純粋に反映した完全な人工物だった。

 

本作では、典型的な役所人間である主人公サムを意味ありげな夢が波乱の渦へと先導するが、物語が進行すると、夢の情景が現実のディストピアの風景とオーバーラップしていく。

 

夢と現実は、陰陽のように対極に位置する対となる概念で、本来混交しない水と油だが、極限に到達した人為の産物である本作のディストピアは、その本質においてこれまた窮極の人為の産物である夢と、特に悪夢と同質となり、遂に境界を失って合流するのだ。

 

ラストシーンで、サムはヒロインと共にこのディストピアを脱出して、雄大な山並みと地を埋め尽くす緑が広がる自然の世界で、支配から解放された自由な生活を謳歌するが、それは政府に捕らわれ苛烈な拷問を受けた末に発狂したサムが生み出した夢想だった。

 

結局この映画では、最初から最後まで、徹頭徹尾、人間は社会にしろ夢想にしろ、自身が生み出した人工物に監禁されている。

 

サムが、狂気が製造した夢想という人工のユートピアに逃げ込み当座の苦痛から解放されるラストがハッピーエンドかバッドエンドかは観る人間によって解釈が分かれるところだが、人工物(ディストピア)から逃れるために人工物(夢)に逃げ込むという閉鎖した循環構造は、仏教でいうところの輪廻を彷彿とさせる。

 

その輪廻をグロテスクな未来像に置き換え可視化した本作を通じ、人間の性質の基礎に根深く食い込んだ、自らを窮屈な閉塞に貶め窒息させる自虐の指向性を目の当たりにすると、薄ら寒い暗澹とした余韻がこびりついて離れなくなる。

 

ウィキペディアで本作についてざっと調べたら、監督のテリー・ギリアムが本作の制作にあたりストレスで両脚の感覚が一週間ほど麻痺したという嘘か真か定かではないエピソードを見つけたが、人間の本質の深海に素潜りで沈潜し、狂気との境界から真理を浚ってくる作風を見るにつけ、それもむべなるかな。