逆ソクラテス
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小学生が主役の短編集。
本書でも、伊坂幸太郎作品に通底する「持たざる善意」と「持てる悪意」の相克をテーマとする物語が展開する。
本書の後書きにて、小説家として「デビューしてから二十年、この仕事を続けてきた一つの成果のように感じて」いると作者が本作を評しており、伊坂幸太郎が本作を、現時点での小説家キャリアにおける集大成に位置づけていることが伺える。
子供というのは、世の中の「持たざる者」の中でも、特に「持たざる」存在である。
大人になれば、いくら「持たざる」者でも、時間を経て蓄積してきた経験や財産、育んできた肉体や技能、築き上げてきた人間関係や地位などをある程度保有しているが、若年である子供達には、時間の経過やそれに伴う成長が与えてくれるそれらの恩恵が圧倒的に少ない。
だが子供たちも大人たちと同様に、日々の生活で悪意と対峙しなければならないのが世知辛い現実である。
むしろ、微力な存在であるからこそ、大人たちよりも子供たちを脅かす悪意の総量は多く、さらに逃げ場のない学校や家庭を中心とした狭いコミュニティが戦場となる悪条件まで重なるとなれば、子供たちはなまじっかな大人より深刻で救いようのない状況に置かれているといえよう。
「持たざる善意」と「持てる悪意」との相克の物語を、子供を主役に据え、善意の勝利、ないしは不屈の結末に説得力と面白さをもって導くのは、伊坂幸太郎というヒットメーカーをして、作家としての力量を問われる難行であり、その難行を成し遂げたからこその「成果」なのだろう。
本書の子供たちが巻き込まれる事件の数々は、表層だけ見ればさほど目新しくも珍しくもなく、大半は日常的に発生するトラブルや理不尽に対する葛藤で、既視感を覚えたり、似たような経験をした人も少なくないようなものばかりだ。
勧善懲悪という物語の形式上、主人公サイドと対立する敵役が登場するが、敵役も根っからの邪悪な悪党ではなく、ちょっと意地悪だったりひねくれていたり未熟だったりするだけで、主人公たちと同じ社会の荒波の渦中で少しでも幸せになろうともがいている同志といっても差支えがないような庶民ばかりである。
だが、本書に限らず、伊坂作品に共通する、褪せない寒気を催す底なしの悪意の存在が、しっかりとそこには描かれている。
地球上にありふれ、生成消滅を繰り返すおびただしい生命の限りなく無に等しい断片に過ぎない一個人が産み出す悪意の質と量などたかが知れている。
だが、それらの小さな悪意が無数に集合し、接続され、巨大なネットワークを形成すると、特異点を超えて、明らかに個人の悪意とは次元を異にする、強靭で破壊的で邪悪極まりない巨悪が顕在化する。
人間を導管に世の中に漏れ出すその巨悪の悪意は、個人的な悪意とは別格の、あたかも放射能のごとき毒性で人々の平穏を蝕み腐らせ破壊していく。
歴史を紐解けば、巨悪から漏れ出す悪意になすすべもなく翻弄された人類が自ら手を下し身を投じた惨劇には事欠かない。
人類の平和は、この巨悪という大海に浮かんだ小舟に過ぎず、しかもこの小舟のあちこちに無数の大小さまざまな穴が穿たれていて、この穴からひっきりなしに悪意が流れ込み、休みなく汲み出していないとあっという間に沈没してしまう瀬戸際に立たされているのだ。
伊坂作品の主人公たちが戦っているのは、この巨悪から漏れ出してくる、個人のそれとはまったく出自の違う致命的な悪意だ。
誰もがその悪意の導管になりうる。
何かがきっかけとなって導管のバルブが緩めば、悪意の侵入を許し、そのまま放置しておけば自分や周囲を侵食して多大な災厄をもたらしかねない。
一見、些細なトラブルや理不尽を題材にしているにもかかわらず、本作を読んでうすら寒い恐怖を感じ、それらがいつまでもしつこくまとわりついて離れないのは、主人公たちが対峙するのが、巨悪の大海から漏れ出した別格の悪意だからだ。
この悪意の導管が、すれっからしの大人だけでなく、世に産まれ出て間もない子供たちにもしかりと敷設され、いつでも開通できる準備万端の状態にあるという事実に戦慄を覚える。
この巨悪との戦線に安全地帯はなく、戦闘員と民間人の区別もない。
大人だろうが子供だろうが、平等にこの戦いの最前線にある日突然配備されるのだ。
本作は、その悪意との局初戦に対する子供たちの善戦ぶりを、幾分寓話的に、しかし現実にしっかりと足をつけたバランスの取れた雰囲気で描いている。
「持たざる者」の代表格である子供たちが戦うことで、この「持てる悪意」の本体である巨悪と戦うための「持たざる者」の武器がより明確に見えてくる。
知恵と勇気、そして何より意志がそれだ。
「僕は、そうは、思わない」
表題作中に登場するセリフだが、その意志表明だけでも、悪意を怯ませ、時に撃退する決定打になりうる。
本書は、巨悪の漏出との戦線に立たされた不憫な子供たちの、それでも逆境に負けない奮闘を描き、逃れうる者などいない悪意との永遠にして不断の戦争への警戒を呼び掛ける。