ざっくり雑記

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ある森林インディアンの物語

1900年代初頭に著された、あるウィネバゴ族のインディアンの半生についての自叙伝の英語訳の日本語訳。

 

インディアンというと、原始的ながら自然と霊的に調和した伝統的な生活様式墨守する敬虔で純朴な民族集団というイメージを抱きがちだが、本書の記述からはそういったステレオタイプなイメージとはかなり異なるインディアンの実態を赤裸々に垣間見られる。

 

S・Bという「凡庸な」中年のインディアン男性の半生記なのだが、現代の道徳観や倫理観ではにわかに受け入れがたいいかがわしい行為の告白が頻繁に続出する。

 

彼の記述を全面的に信用するなら、彼はアルコール中毒の女たらしの重婚者で、常習的な窃盗と詐欺を繰り返し、計画的な殺人に加担し、部族の教えを捨て、幻覚剤を儀式に用いる新興宗教に改宗した人間ということになる。

 

100年以上前のアメリカの住人であるという事情を斟酌しても、お世辞にも品行方正とは言い難い経歴の持ち主であり、本人にも自覚がある。

 

当人に犯罪に対する強い罪悪感や反省はなく、むしろ文章は若気の至りでやらかしたやんちゃの数々を自慢するニュアンスを帯び、殺人に関しては部族の社会規範に合致した一種の通過儀礼として、名誉の行為であると認識している。

 

確かに殺された相手は近隣の鼻つまみ者であり、彼の親族や周囲の人間が殺害を容認する発言を吹聴していたことから、彼の部族の社会規範に基づき自発的に請け負った有志の処刑という側面もあり、一定の道義的正当性はあるので、一概に彼の行為を「犯罪」とみなすかは議論の余地があるが、それでも殺人がショッキングで重大な出来事であるのは変わりない。

 

そういった出来事を含めた半生を振り返るS・Bの語り口は、終始一貫してざっくばらんであっけらかんとしており、おおらかでユーモラスであり、酒を飲みながらの世間話のように肩の力が抜けていて自然体で、語られる内容のどれもがいちいち大袈裟に取りざたするまでもない日常茶飯事なのだと錯覚しそうになる。

 

西洋文明やキリスト教がインディアンの文化や信仰を侵略し台無しにしてしまったという歴史観が一般的だが、皮肉なことにS・Bはキリスト教と土着信仰をミックスして幻覚植物を導入に用いる新興宗教に改宗したことで、それまでの放縦な生き様を改めており、生活面の安定性は好転している。

 

彼を当時のインディアンという民族の典型例として扱うと明らかに語弊がありそうだが、彼の語り口や行為に対する捉え方には、インディアンという民族に通底する特有の体系だった価値観や宗教観、人生観が透けて見える。

 

そこにはやはり自然との霊的な調和の精神があり、女性を誘惑するにも人を殺すにも刑務所で過ごすにも新興宗教に改宗するにも、全てに部族の名誉や大地の精霊への信仰が顔を出し、彼の人生を支配している。

 

自叙伝を翻訳した人類学者によって、本文と同じくらいのボリュームの詳細な注釈が付されているが、それはS・Bの発言のほとんどに、翻訳者の文化とは全く異なる文化体系が反映されており、その背景を考慮しないと彼の発言の真意を大きく取り違え誤解する危険が常に付きまとっているからだ。

 

語っている内容に難しいところは一切なく、時に卑俗で浅薄ですらあるが、その根底にある尋常ならざる異文化の質量を抜きにしては、女遊びや窃盗の話題でも、そこから実効性のある意味を汲み取ることはできない。

 

神格化された理想像としてのインディアンではなく、等身大のインディアンの実態を詳細に物語り、インディアンへの理解が深まる貴重な人類学の史料ではあるが、同時に異文化の理解に払うべき並々ならぬ努力の必要性を思い知らされる史料でもある。