ハーレイ・クインの華麗なる覚醒 BIRDS OF PREY
DCエクステンデッド・ユニバースに属する、スーサイド・スクワッドのスピンオフ。
前作でひときわ存在感を誇ったハーレイ・クインが続投。
だが大胆に方針転換を図った鬼子的作品。
ジョーカーの情婦として、非常にセクシュアルでコケティッシュだった前作のハーレイ・クイン像を大幅に刷新し、一個で完結する自立した女性像を前面に押し出している。
サイケデリックなカラーイメージは引き継がれているが、前作ではチームアップした悪党たちの多彩な個性の視覚的象徴だったものが、今作ではハーレイ・クイン個人に帰する多彩な側面を象徴する役割を担う。
R指定の同レーティングの他作品と比較すると、度を越した残虐な暴力やいかがわしい性的描写は少ない印象を受ける。
暴力や殺人に伴うグロテスク表現はあるのだが、床一面を血に染めたり、内臓をぶちまけたりといった、物量や典型的アイコンで刺激を高める場面はほとんどなく、あったとしても一瞬の描写だったり、コメディタッチだったり、すぐにシーンが切り替わったりして、強い印象が後を引かないよう配慮されている。
ハーレイ・クインの得物が、一般的な刃物や銃器ではなく、カラーパウダーとコンフェッティを打ち出すポップガンや金属バットやおもちゃみたいなハンマーなど、コミカルなデザインのものばかりなのも、暴力的なイメージの緩和に一役買っている。
性的な描写も抑制されている。
女性キャストの衣装はボディラインがぼやけたユニセックスなパンツスタイルがメインで、特に前作でヒップを変質的に強調したハーレイ・クインのホットパンツのナーフは顕著であり、衣装の布地面積や種類はほとんど変わらないのに、デザイン一つでここまで印象が変わるのかと驚嘆する。
要するに、ステロタイプな「男」が好む要素を大幅にカットしている。
客層の大半を「男」が占めるDC映画において、この制作方針はマーケティングの王道に明らかに反する。
本作は、DCエクステンデッドユニバースの世界観を共有するシリーズ作品でありながら、根底に流れる思想は、前作とは大きく軌を異にする。
それをフェミニズムだと規定するのは簡単で筋も通っている。
だが本作には、いい意味で未成熟で荒削りな発展途上の雰囲気がある。
男性の既得権益と役割を獲得した男性的女性でもなく、豊かな感性と高度なマルチタスク遂行能力と優れたコミュニケーション能力等で確固たる性的地位を確立する女性的女性でもない、未来社会のジェンダーに適合する、これまでの人類史に前例の存在しない完全新規の女性像を模索する努力、その不器用で不格好な結果が本作の本質だ。
狂気に侵され狂人に人生をスクラップされ世界を救う元精神科医の極悪人というシッチャカメッチャカなハーレイ・クインのキャラクター及び愉快な仲間たちには、未知の人間像をビルドする母体に相応しい豊穣なる混沌の可能性が満ち満ちている。
なにはともあれ、完璧なエッグサンドがとにかく食べたくなる映画。