ざっくり雑記

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本『投影された宇宙』

 

どんな本?

通常の科学では説明困難な既存の物理学的現象や心理学的事象を説明する共通原理として有力視される、非局在性を本質とするホログラフィックな宇宙観について解説する。

 

感想

本書が解説するホログラフィック・ユニヴァースという宇宙観の前提にあるのはホログラムだ。

 

ホログラムとは、未来を舞台としたサイエンス・フィクションの小道具でおなじみの立体映像テクノロジーとして(私を含む)世間には認知されているが、実のところ、立体映像はホログラムのテクノロジーの核心からすれば派生物や副産物に過ぎない。

 

ホログラム、つまりホログラフィック・テクノジーの核心とは、情報の記録様式である。

 

ホログラムは、単一のレーザー光が、二本の光線に分割されるときに作られる。最初の光線は撮影される対象の物体に当てられ、反射する。次に二本目の光線を、最初の光の反射光と衝突させる。この時に干渉パターンが生じ、それがフィルムに記録されるというわけだ。

(本書8ページより引用)

 

こうして記録されたフィルムには、通常の写真と違って撮影対象の像とは似ても似つかない干渉縞(モアレ)が投影される。

 

だが、このモアレにレーザー光や光を当てると撮影対象の立体映像が出現する。

 

通常の写真が二次元であり、奥行きが無く裏面を見られないのに対し、この立体映像は奥行きがあり、裏側を眺めることもできる。

 

このようにホログラフィック・テクノロジーは対象物の情報の一面や一部ではなく総体を記録し、再生できる様式なのだが、本書が主題とするホログラフィック・ユニヴァースを理解するには、ホログラムの深奥へさらにもう一歩踏み込む必要がある。

 

ホログラムが記録されたフィルムには立体映像を投影する性質のほかに、フィルムを分割したその一部からでも、撮影対象の全体像を投影できるという性質がある。

 

当たり前の話だが、普通の写真を半分に切れば、それは撮影対象が半分だけ写った写真となり、残り半分の情報は失われてしまう。

 

だが、ホログラムのフィルムは半分に切っても、その半分から撮影対象の全体像を投影できるのだ。

 

これはホログラムのフィルムを4分の1、8分の1と、どんどん分割していっても同じである(ただし投影された映像の解像度は落ちる)。

 

つまり、ホログラムに記録された情報には、部分と全体の区別が無く、部分に全体が内包されるという、にわかには理解しがたい性質があるのだ。

 

この、部分と全体の区別が無い=非局在性という特殊な性質を宇宙に当てはめてその本質を理解しようとした宇宙観が、ホログラフィック・ユニヴァースという概念となる。

 

砂の一粒に世界を

そして野の花に天界を見る

手のひらに無窮をつかみ

そして一時間の中に永遠を感ず

(本書54ページより引用)

 

本書に引用されたウィリアム・ブレイクの有名な詩が、ホログラ厶の特異な性質を的確にに表現している。

 

そもそもの始まりは、心理学と量子力学における、ホログラフィックな性質の発見がある。

 

脳における記憶の不明瞭な所在や、距離を無視した量子の不思議な振る舞いは、局在性を前提とするとどうしても説明できないのだ。

 

そこから発展して、ホログラフィックな性質が、心理学や量子力学だけでなく、その他の様々な領域の現象にも矛盾なく適用できることがわかった。

 

この考え方を推し進めると、この宇宙の根底にはホログラフィックな性質があるという、ホログラフィック・ユニヴァースという宇宙観に統合される。

 

この宇宙観によれば、我々が目で見て手で触れている現実世界は、宇宙の要素をすべて含む「宇宙ホログラム」から、我々の意識が勝手に想像している「世界とはこういうもの」というイメージに沿う側面だけを抽出して投影した、質量を伴う立体映像みたいな代物ということになる。

 

この宇宙観は、これまでの科学では鬼門であった、超能力や心霊現象といった、いわゆるオカルトに分類される超常現象の理論的説明にも道筋をつける可能性をもたらし、本書の記述もそこに力点が置かれている。

 

冒頭はなじみ深い科学の文法に則り、革新的な概念ではあっても、提唱されるホログラフィック・ユニヴァースという概念について、さほどの抵抗感は感じずスムーズに読み進められるが、超能力とか平衡宇宙とか生まれ変わりとか高次元とかUFOとか臨死体験といった、超常・心霊現象に話が及ぶと、雰囲気がスピリチュアルでオカルティックに転調し、読む人によってはアレルギーを起こしかねない怪しげな方向へ論旨が雪崩を打つ。

 

このような突拍子のない見解に客観性を付与すべく、収拾に費やした努力のすさまじさが伺える膨大な例証をふんだんに列挙し、詳細な検証を添え、超常・心霊現象を従来の科学の俎上に載せ同列に語ろうとする著者の、実直な熱意は敬服に値する。

 

だが、その記述の端々には、素人目にも明らかな検証方法の不備や論理の穴が散見され、神秘主義に傾倒した人間にありがちな「見たいものを見る」傾向を払拭しきれてはいない。

 

個人が世界を相手取り、更には覆す可能性すら示唆するホログラフィック・ユニヴァースの宇宙観は、一昔前に流行したライトノベルの一大潮流であるセカイ系の宇宙観と軌を一にする。

 

この一致を、厳然と実在する宇宙の真理を、優れた感性や深い洞察の持ち主が異なる視点と表現で具象化した同工異曲として好意的に解釈することも可能だが、そこにはなにか、もっと卑俗な事情が混じった生臭い感触がある。

 

本来、部分が全体に変革を及ぼすには、それ相応の理由が必須である。

 

超能力や平衡宇宙や生まれ変わりや高次元やUFOや臨死体験やホログラフィック・ユニヴァースやセカイ系ライトノベルに通底する要素は、過程の省略である。

 

例えば念動力という超能力を例にとれば、離れた場所にある物体を触れずに動かすという現象は、物体への十分な接近とそれにかかる時間とエネルギー、そして操作自体に必要な時間とエネルギーの消費という、必須の過程を省略した現象だ。

 

セカイ系ライトノベルは、個人に類する部分に過ぎない矮小な存在が、物理法則や因果関係を無視した突拍子もない超常の能力や現象を利用して、膨大な労力と手続きと時間を要する順当な過程を省略し、世界を変革する物語である。

 

両者の根底に透けて見えるのは、身の程知らずと横着だ。

 

瞠目の大事業を成し遂げたり、行き詰った現状を一気に打破したいが、相応の才覚と労力を要求する正規の手順は踏みたくないという、怠惰で虫のいい欲求が臆面もなく顔をのぞかせる。

 

ホログラフィック・ユニヴァースは、そんな虫のいい欲求にまやかしの活路を提示し、慰めを与えてくれる福音としては、非常に筋の通ったドグマである。

 

ただし、そんな虫のいい欲求を受け入れてくれるほど、現実は甘くない。

 

仮にホログラフィック・ユニヴァースが真理であり、個人の理想が過程を省略して即座に反映される余地がこの宇宙にあるとしても、実際の世界ではほとんどの場合においてそうならないのは、インスタントな因果の直結を拒否する勢力が大勢を占め、秩序を志向する理想がホログラフィック・ユニヴァースの実際の在り様を規定しているからだろう。

 

ホログラフィック・ユニヴァース自体が、ホログラフィック・ユニヴァースの本質が露骨に体現されたバーリトゥードな因果直結型の宇宙を否定する論拠として矛盾しないというのは皮肉である。

 

終わりに

高尚な意識がインスタントに世界を理想郷へと変革するホログラフィック・ユニヴァースという宇宙観は、多くの問題が錯綜し複雑怪奇の様相を呈する現代世界においては、快刀乱麻の解決力をもたらす、魅力に溢れた夢の概念だ。

 

半面、ホログラフィック・ユニヴァースには、世界の変革を志向する人々に正攻法を放棄させ、浮世離れした益体のない努力に傾倒させる魔的な一面もある。

 

全体性に囚われるあまり、些細だが確実に世界を塗り替えていく地道な営為を軽視するようでは本末転倒も甚だしく、そういった観点からすると取扱いには細心の注意を要する宇宙観とも言える。

 

スピリチュアルやオカルトを取り扱った著作としてみるなら、本書は豊富な情報を満載したエンサイクロペディア的な楽しみ方もできる。

 

見方によってさまざまな様相を見せる奥深い構成は、ホログラムを題材とした著作に相応しい。

 

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ホログラフィック・ユニヴァースのイメージ