ざっくり雑記

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本『異形のものたち 絵画の中の「怪」を読む』

 

どんな本?

天使、悪魔、怪物、名状しがたき生物、果ては姿なきモノまで……様々な異形が描かれた芸術について、画家の意図や創作の背景を解説し、異形にまつわる芸術から見えてくる人間性の本質に迫る。

 

感想

古来より、古今の創作物には異形が登場してきた。

 

本書では主に異形が描かれた絵画を取り上げ、文学者である著者が、読み応えのある詳細な解説を添える。

 

異形の基本的な形式は、別種のもの同士の特徴的なパーツの組み合わせだ。

 

鳥獣の翼を人型に備えた天使と悪魔、半人半魚の人魚、牛頭人身のミノタウロス、半人半馬のケンタウロス、組み合わせ型異形の代名詞であるキメラ……

 

極めつけは、動物どころか器物とまで融合した、一見して何が何だか判然としない狂気の怪物が所狭しと跳梁跋扈する、ヒエロニムス・ボスの「快楽の園 地獄」が登場する。

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ヒエロニムス・ボス「快楽の園」(右側が地獄)

こうして並べられると、人間の想像力というものの幅広さと奥深さ、画家の表現力の豊かさに驚かされる反面、ほとんどの異形のデザインが、突き詰めれば実在の動物や物品のコラージュであることにも気づく。

 

当たり前といえば当たり前で、本書に取り上げられたような後世にまで残る名作というのは、それだけ多くの人々に受け入れられた作品というわけで、いくら異形とはいえ、既知の何物とも類似性のない、何とも分類しがたいわけのわからないデザインは、到底一般受けせず、こうして数百年の時を越えて我々の目に触れることもなく、歴史の流れの底へと日の目を見ずに沈没したのだろう。

 

人々は見たこともない珍奇な異形に惹かれつつ、一方でそのデザインの構成要素には、頑なに既知の存在を求めているようだ。

 

 絵画に代表される視覚を介した芸術は、観客が見たいものを見せ快楽を提供する、視覚的麻薬だ。

 

実際の麻薬と同じく、そこにはエスカレートの原理が当てはまる。

 

人々はすぐに快楽に慣れ、さらに強い快楽を求め、それは破滅が終結を強制するまで続く。

 

より強烈なイメージ、より誇張したデザインに需要が集中すれば、供給は市場の要求に諄々と応え、エスカレートの一途をたどる。

 

宗教的喜悦の心情表現には飛翔の構図が与えられ、さらに飛翔には象徴的な翼のデザインが与えられ、やがて群れ成す天使が画面を埋め尽くす。

 

畏怖と憧憬の混じった海洋の複雑な魅力は、船乗りを怪しい歌声で水底へ誘う人魚へと結実する。

 

過当競争の淘汰圧は、当初は現実に忠実で、演出があったとしても繊細で微妙だった絵画の表現形式を、現実離れした異形へと進化させた。

 

また、異形を描く画家のほとんどが男性であるという著者の気づきには、何か普遍的な性差の存在を想定させる。

 

男性は視覚的動物であるというまことしやかな説がある。

 

にも関わらず、色彩に関する感覚は女性より鈍いという話も聞く。

 

以上の説を真とするなら、視覚的動物でありながら、色彩感覚に比較的乏しい男性が絵画のモチーフに多彩で大量の情報を付与しようとしたら、色彩や色調ではなく、形状に工夫を凝らす方向へ力を注ぐのは理に適う。

 

仮に色彩感覚が無く、白黒しか判別できない画家を仮定すると、その画家は形状や陰影の工夫だけでモチーフを表現しなければならない。

 

そんな時、より強烈な印象を画面に落とし込むのに、異形というのは非常に便利な表現技法の選択肢となる。

 

そうしてみると、異形というのはガラパゴス諸島で繫栄する奇異な動植物に似ている。

 

見慣れないデザインでありながら、そこには適者生存によって洗練され尖鋭化した、非常に合理的な優位性がある。

 

ゆえに、むしろ異形の根っこにある画家の意図は、非異形より明確であり、分析や解釈が容易かもしれない。

 

そういう意味では、異形の対極に位置する、ただ佇み笑みを浮かべた美女をモデルにした「モナ・リザの微笑み」の方がよっぽど謎めいており、分かりやすい解釈や規定を頑なに拒む、正体不明の真の異形と言えるだろう。

 

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真の異形

終わりに

異形というものは日常からは縁遠い、相いれないものかと思いきや、こうして並べ立てて分類し、豊かな文章表現で解説されると、むしろどうしようもなく親しみ深い、日常の派生物だとわかる。

 

激辛愛好家やマヨラーが、異常ともいえる分量のトウガラシやマヨネーズを摂取する様は、一般的な感覚からすれば理解しがたい異形そのものの姿だが、本人たちからすれば、単に快楽を追求した結果行きつく当然の帰結であり、そこには合理だけがあり、理解しようと思えばこれほど理解しやすい単純明快な動機もない。

 

本書は、珍奇な異形こそ、誤解の余地の少ない、明確な画家の意図を表現した結果という、逆説的な芸術の見方を与えてくれる。

 

テーマは奇妙ながら、深遠な芸術の世界に触れるには、自分のような門外漢にもとっつきやすく、フリーク好きにはなお堪らない一冊。

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親しみやすい異形たち