147参る ご神木の健康寿命
しばらく神社から足が遠のいていたので、サイクリングがてらお百度参りに出向く。
巨大な石木が好きなので、以前にも参った樹齢1400年超の御神木が祭られている神社を訪ねる。
毎度毎度御神木を目にするたびに畏敬の念に囚われて敬虔な気持ちになるが、よくよく見てみると、枝葉を打ち枯らし上部の幹を失った立ち姿は痛ましい。
樹勢回復の処置を施した旨の説明を記した看板があったが、健康な状態にはとても見えない。
永き時を閲して地域を見守ってきた貴重な御神木にいつまでも健在で居てもらいたい気持ちは理解できるものの、一方で、寿命を迎えつつある生命を周囲の都合で無理やり延命するのも酷な気がする。
医療福祉の領域では、単純な寿命から、健康な状態で過ごせる健康寿命の延伸を図る方針が重要視されてきているので、それが神仏の領域にまで拡大して適用される日もいつか来るのだろうか。
20年で建物を総とっかえする伊勢神宮の式年遷宮みたいに、人工物だけでなく、特別な役割を負託した自然の石木についても、寿命が来たら引退して静かな余生を送ってもらえるよう、穏やかな代替わりのシステムがあればいいと思いつつ、147度目のお百度参りをつつがなく終える。
一時は鳴りを潜めた暑熱も勢いをぶり返し、真夏の暑さが再来する。