ざっくり雑記

ざっくりとした雑記です

本『若返るクラゲ 老いないネズミ 老化する人間』

どんな本?

全ての人間に等しく訪れる老化という現象に、最新の知見と著者独自の理論で新たな光を当て、古色蒼然とした従来の老化観を大きく刷新する啓蒙の一冊。

 

感想

老化は傷病と同じく、生命体が是が非でも克服すべき不倶戴天の仇敵として、蛇蝎のごとく忌み嫌われている。

 

世界中の医療関係者や科学者が老化という不治の病を克服すべく、日々有効な対抗策を模索し、一分一秒でも余命を延長すべく、知恵の限りと粉骨砕身の努力を尽くしている。

 

だが本書は、それらの老化悪役説に真っ向から異を唱え、あまつさえ強力に擁護する。

 

そもそも老化現象は、死を免れ得ぬ生命体の晩年に付き物の普遍的な衰弱現象だという思い込みが古今東西を問わず行き渡っているが、実はそうではないというのが本書の主張だ。

 

本書でいう老化とは、しわくちゃになることでも、関節があちこち痛みろくに走れなくなることでも、冷静な判断力を喪失してオレオレ詐欺に引っかかりやすくなることでもない。

 

本書が扱う老化の定義は主に二つ、「死亡率の上昇」と、「生殖能力の低下」だ。

 

死亡率の上昇とは、年を経るごとに死ぬ確率が高くなることを指す。

 

例えば、統計上、20歳の人間1000人のうち、1年後の21歳まで生き残るのは999人、つまり死亡率0.1%であるのに対し、60歳の人間1000人のうち61歳まで生き残るのは990人、つまり死亡率1%となっている。

 

この場合、60歳の人間は20歳の人間に対して、「老化」していると看做す。(アメリ社会保障保険数理表2010年度版に基づく数値)

 

これが80歳になると1000人のうち生き残るのは940人となり、死亡率が6%にまで上昇する。

 

つまり60歳よりも80歳の方が老化が進行していることになる。

 

死亡率が横ばいなら老化は進行しておらず、仮に低下したなら若返ったというわけだ。

 

一方生殖能力はそのまま、どれだけの子供が産めるかという能力を指す。

 

人間の女性に当てはめると、閉経が分かりやすい生殖能力の低下、つまり老化の指標となる。

 

この二つは、人間視点では非常に慣れ親しんだ老化の特徴であり、直感的・体感的に理解しやすい。

 

だが、この二つの定義に照らすと、老化しない、あるいは年を経るごとに若返っていく、人間視点ではにわかに信じがたい生物が自然界には確かに存在しており、老化が生命体に付き物の普遍的な現象ではない証左となっている。

 

例えばロブスターやハマグリには上記二つの定義では老化現象が見られず、死ぬまで成長が継続し、幼く小さい個体より年経て成長した大型の個体の方が死ににくく、更に生殖能力も向上していく。

 

つまり、老化しないどころか、若返っているのだ。

 

分かっている範囲で、ロブスターは100歳以上でも成長し続け、ハマグリ(正確にはホンビノスガイ)のうち、記録にある最高齢の個体は507歳となっている。

 

こう見ると意外な気もするが、しかし私たちは不老、あるいは若返っていく生物と常日頃から身近に接している。

 

それは植物だ。

 

特に樹木は老化と無縁な生き物の好例だ。

 

何百年、何千年と生き、屋久杉のようにどこまでも巨大に成長するものも少なくなく、大きさに比例した大量の種子をばらまき、旺盛に繁殖する。

 

樹木の生態を人間に置き換えれば、20歳のうら若い女性が一回の出産で一人の子供を産むところ、100歳の女性が20歳の女性より意気軒昂で、尚且つ1回の出産で10人の子供を産むようなものである。

 

一方で、老化が人間のように徐々に進行するのではなく、まったく別のタイミングで発生する生物もいる。

 

例えばセミが好例だ。

 

セミは一生のほとんどを地中で幼虫として過ごし、地上に出てきて羽化した後は、生殖を含め、数週間という短い期間で一生を終える。

 

人間の女性に置き換えれば、100歳まで性的に成熟しない子供のままで育ち、100歳を迎えた途端、急激に性的に成熟して子供を大勢産んだかと思うと、瞬く間に老化して死んでしまうという、ホラー映画のワンシーンを彷彿とさせる異様な成長過程になる。

 

本書にはほかにも様々な生物の老化(あるいは不老、若返り)の事例が引用され、人類に流布する老化観がどれほど偏狭かをこれでもかと思い知らせる。

 

生物界の多種多様な老化現象の様相から導き出されるのは、老化現象があまねく生物に義務付けられた晩年の災厄ではなく、進化の末に獲得した多様な長所の一種という、逆説的な解釈だ。

 

つまり、人類にとっての老化とは、ライオンにとっての牙と爪、鳥にとっての翼、スズメバチにとっての毒針、カメレオンにとっての保護色と同じく、生存に有利をもたらす長所なのである。

 

名前とは裏腹に、古典的な進化論と化したネオダーウィニズムの観点からすれば、老化、つまり命を縮める現象は、適者生存の法則に従って真っ先に淘汰されるべき、明らかに生存に不利な弱点である。

 

人生の早期に心身機能が衰退し短命に終わる個体より、より長く壮健に活動できる長命の個体の方が、集団の中で優位に立ち、遺伝子を後世に広め、時を経るほどに集団全体が長命な個体に置き換わり、その傾向はどんどん進行していくというのが、ネオダーウィニズムが想定する適者生存の展開だ。

 

だが現実世界はネオダーウィニズムの想定とは大きく食い違う。

 

栄養状態や衛生環境の進歩によって平均寿命は延伸したが、それは単に早期に死ぬ個体の減少によるもので、老化しにくい個体の増加によるものだけではない。

 

そもそも、人間よりはるかに短命な種族――虫やバクテリアや雑草――が、人間のスケールからすると一瞬にも満たない寿命にもかかわらず、地球上で人間より繁栄している理由は、ネオダーウィニズムでは説明できない。

 

虫やバクテリアや雑草の旺盛な繁殖力が、短命を補って余りあるという理屈ももちろんあるが、長命は繁殖力と両立できる性質であり、両方を兼ね備えた個体の方がそうでない個体より遺伝子プールを独占する競争では明らかに優位なのは間違いない。

 

だが、この直感的に正しそうな論理は、こと自然界では大間違いなのだ。

 

つまり、度を越した長命は、種の存続を脅かす短所となりえる。

 

仮に、人間に老化が無く、つまり事故や病気以外で死ななくなった場合を想定してみよう。

 

寿命がある状態ですら既に人口が70億を超え、更に増加している現状を見れば、人口爆発待ったなしなのは明白である。

 

その結果起こるのは、深刻な資源の不足だ。

 

エネルギーや鉱物資源はともかく、特に飲食物の不足が喫緊の課題となるだろう。

 

イナゴのごとく飢えの赴くまま種もみまで食い尽くせば、人類総餓死が唯一の末路となる。

 

つまり、資源が限られた環境に対し、人口を調節して資源の消耗を抑え、種を存続させる機能として、個体の老化は非常に有効な生存戦略の一種なのだ。

 

もちろん、人口の調節機能は老化だけではない。

 

かつては人間を捕食する動物や感染症や栄養不良がその役を十全に果たし、人類を生かさず殺さず、存続させてきた。

 

だが現代では、サーベルタイガーが人間のはらわたをむさぼることも、コレラ赤痢で糞便を垂れ流して干からびることも、ましてや餓死することも非常にまれになり、死因ランキングの上位は、栄養過多と運動不足を原因とする生活習慣病が埋め尽くしている。

 

そんな現状にあって、人類が躍起になって克服しようとしている老化は、人類を自滅に導く際限なき増殖を食い止める最後の砦となっている。

 

ここで本書は矛盾に突き当たる。

 

本書も老化を主題に据えたコンテンツの例にもれず、老化の仕組みを解き明かし、アンチエイジングの方策を取り上げる。

 

老化を肯定するだけで、対策を提示しない本など誰も買わないと、著者もシニカルに自虐する。

 

老化を肯定しつつ、一方で個体の寿命を延ばす方法を読者に授けるというのは、ダブルスタンダードも甚だしい。

 

この矛盾について、本書では最後の一章をまるまる割いて論じている。

 

結論として、資源の有効利用と、積極的な少子化という、ありきたりの案が提示される。

 

老化の科学が進歩すれば、寿命は延長し、人口は増加して資源の消耗が加速するのだから、これは当然至極の結論だ。

 

種としては過度の長命と人口の増加は望ましくないが、個体の欲求は種の要求に反する。

 

かつては過酷な自然環境に拮抗するパートナーとして力強かった不屈の生存本能が、科学によって自然環境を屈服させた今となっては、自らの首を絞める最悪の敵となってしまった。

 

かつて、種の個体数と自然環境が受け入れ可能な容量のバランスを欠いた種はことごとく絶滅した。

 

今生き残っているのは、生態系の中で与えられたニッチに謙虚に甘んじる中庸の要訣を遺伝子に刻み込んだ、分をわきまえた種だけだ。

 

近年、SDGs(持続可能な開発目標)が国際的な主潮となっているが、声高に唱えるまでもなく、生物はその始祖からSDGsの履行を余儀なくされ、違反者は漏れなく容赦なく自然の摂理の断頭台の露と消えた。

 

その絶対条項はすべての生き物の遺伝子にデオキシリボ核酸のインクではっきりと書き込まれているが、人類はいまだ条文の理解はおろか、解読にすら手を付け始めた段階で留まっている。

 

数百万年を生き延びてきたホモ・サピエンスだが、地球上の他の種の同輩と比べればひよっこもいいところの若輩だ。

 

だというのに、この数百年で、貪欲に資源を食い漁り、環境を痛めつけ、手で触れられるほどの距離にまで破滅に接近し、このままでは人類は短い生涯に自ら幕を下ろす羽目になりかねない。

 

がむしゃらに繁栄を追求した刻苦勉励の果てが、不養生ゆえの夭逝とは、本末転倒そのものである。

 

科学が遺伝子に刻まれた存続の要綱を解読し、粛々と履行する従順な態度を人類が体得するのが先か、それともこのまま枯渇の破局へまっしぐらに突入して絶滅するのが先か、文字通りのデッドヒートは予断を許さない。

 

老化という個人的な現象を入り口として、種の寿命、ひいては生態系の寿命にまで視野が広がり、真の繁栄について、認識の一新が読むほどに促される。

 

終わりに

自分は、本書が取り上げた老化の、種の生存戦略における重要な役割に注目したが、それは本書が語る老化の一側面に過ぎない。

 

アポトーシステロメア、集団選択やコミュニティ進化、シンビオジェネシスホルミシス等々、話題はミクロからマクロに至る様々なスケール、生理学から社会学にまで至る様々な分野を縦横に駆け巡り、老化というテーマが包含する領域の広大さの一端がうかがえる。

 

心身を若々しく保つアンチエイジングの秘訣を網羅した指南書としても優れているが、それよりも、老化が種の存続に重要な貢献を果たしているという、かつてない認識をもたらすことで、老化に対する闇雲な嫌悪感を払拭し、加齢に対するネガティブな印象を薄める効能の方を、本書の本領と看做したい。

 

恐怖の対象を遠ざけようと腐心しても、恐怖そのものを克服しない限り、いつかは恐怖に呑み込まれるというのは、古今東西、異口同音に語られる不易の真理である。

 

アンチエイジングに躍起になるほど、小じわや些細な関節痛といった、微かな老化の兆候にすら怯えて暮らさざるをえなくなる。

 

そんな恐慌と隣り合わせの生活など、いくら長く生きられても、単に拷問の時間が長引いたのと同じで、喜ばしくもなんともない。

 

加齢に伴う心身の衰えと、その先に待つ死が、子々孫々の繁栄に益する科学的根拠があるというのは、現代版の極楽浄土や天国の思想として、心を慰めてくれる。

 

読後に少し気になったことがある。

 

本書では、結論として積極的な産児制限を推奨しているが、制度を整え教育を普及させるまでもない気がする。

 

先進国を苦しめる少子高齢化の波は、見方を変えれば人口の抑制に他ならない。

 

高齢者が増え人口が減少しにくくなった分、新生児が減ることで、個体数が一定のラインを越えないように保たれているのだ。

 

人類には、人口の過剰な増加を察知して、自発的に産児抑制する、何らかの自己保存機能が元来備わっているのかもしれない。

 

そう考えると、少子高齢化も、局所的には憂慮すべき問題だが、長期的には種の存続に寄与する多彩な生存戦略の一つに思えてきて、悲観が薄らいだ。

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これも一つの生存戦略……?