映画『ワンダーウーマン1984』
どんな映画?
才、色に加え、武まで兼ね備えた万能の女性ヒーロー、ワンダーウーマン(ガル・ガドット)ことダイアナは、考古学者として人間社会に溶け込み、日夜人々の平和を守っていた。
虚栄に溺れた落ち目の実業家、マックスが手に入れた恐ろしい力が発端となる、文明崩壊の危機にワンダーウーマンが立ち向かう。
感想
ガル・ガドットによるガル・ガドットのためのガル・ガドットのワンダーウーマン。
名作が数年~数十年の時を経て別キャストでリメイクされることはままあるが、おそらく未来永劫、ガル・ガドットを越えるワンダーウーマンは出てこないと予感させるハマり具合。
ガル・ガドットを見てからワンダーウーマンの実写化が企画されたのではと、制作過程の前後逆転を疑うレベル。
陸海空を縦横無尽に駆け巡るアクションは剛勇無双の迫力でありながら、殺伐としたヒーローアクションに陥らず、巻き込まれた人や、果ては敵にすら情けをかける繊細な優しさがバトルスタイルに一貫し、他のヒーローものとは一線を画す。
投げ縄が主武装って、考えるとすごい。
待望の新兵器も空飛ぶ鎧だし、とことん武器を排除している。
真実の縄を用いたスイングアクションは、スパイダーマンのそれを彷彿とさせるが、スパイダーマンが慣性に任せた完全な振り子運動なのに対し、ワンダーウーマンは振り子運動に加え、空気を踏みしめて空を駆けるアクションが付け加わっている。
泥臭くあか抜けない所作だが、スパイダーマンのスムーズなスイングには無い張り詰めた力強さがあり、ワンダーウーマンを優美を売りにするステロタイプな女性ヒーロー像から差別化する個性を与えている。
また、スパイダーマンが摩天楼の隙間を縫いながら移動するのに対し、ワンダーウーマンは遮るもののない大空を駆けるという点で対照的だ。
雲海と雷光を背景に、全身のバネを躍動させ、長い手足を存分に振り回すガル・ガドットからほとばしる野生には、ただただ見とれため息を漏らすばかり。
単なるブランコ運動をここまで迫力あるアクションに洗練した、DCコミックスとマーベルコミックスの相互インスパイアの長年にわたる切磋琢磨の歴史を想うと胸が熱い。
歌って踊れるドラゴンボールと化したヴィランとの、一筋縄ではいかない決着は、少々綺麗ごとすぎるきらいもあるが、ヴィランの心理を丁寧に追う描写のおかげで、すとんと胸落ちし嫌味がない。
一歩間違えればC-3POのコスプレになってしまいかねないあのゴールドアーマーを着こなすガル・ガドットに敵うヴィランなどなかなか想像できない。
1984という意味深な数字からして、統制社会がテーマかと思いきや、全然ビッグブラザーが出てこなかったのでちょっとびっくり。
終わりに
蘇ったダイアナのかつての恋人、スティーブ(クリス・パイン)が宇宙へ行く伏線ががんじがらめに張り巡らされまくっていたに、そのすべてを引きちぎってダイアナと決別し、物陰で消滅を匂わせるシーンが、いろんな意味で切ない。
宇宙博物館とか人工衛星とか、思わせぶりが過ぎる。
無茶苦茶期待してしまった分、尚更別れのシーンの切なさが際立った。
それとも、既に制作が決定している次回作で今作の伏線が消化されるのか、今から期待が膨らむ。