ざっくり雑記

ざっくりとした雑記です

本『影響力の武器』

 

どんな本?

人心に強力に作用する言葉遣いや話運びの技法を、社会心理学の見地から詳細に解説する。

 

感想

どこかで聞いたような凡百の心理テクニックを集約したエンタメ本の類かと思いきや、良心や道徳といった、読者の善性を問う恐怖の一冊。

 

本書に挙げられた、相手の思考・信条に大きな影響を及ぼすテクニックの数々は、どれも仕組みは簡単で、営業職や講演者といった、話術を日常の商売道具とする口上手な人なら、大した訓練を積まずとも即日実戦投入できそうなお手軽なものばかり。

 

中には、本書で知るより以前から、いつの間にか自然と体得し実践していた、あるいは他人が実践していたのを体感していた、日常の一部と化したありふれたテクニックもある。

 

巷に出回る類書の大半は、紹介するテクニックを用いて甘い汁を吸うことを夢見る野心家をターゲットにし、テクニックがもたらす莫大な利益を看板に掲げ購買意欲を煽っているが、本書の立ち位置は真逆で、そういったテクニックを濫用する野心家たちの手口を周知し、餌食となる実直な人々が効果的に自衛できるよう、啓蒙する守護者の立場をとる。

 

だが、取り扱うテクニックの内容に違いはない。

 

むしろ著者の的確な分析や明快な解説のおかげで、野心家がテクニックを習得するにしても非常に有用な指南書となっている。

 

故に、著者の意図がどうあれ、本書は読む者の性根次第で善にも悪にも力強い味方となる。

 

著者は、取り上げた様々なテクニック全般に引っ掛かりやすい、いわゆる「カモ」を自認し、読者にも文中の端々で、再三に渡り注意を呼びかけ、具体的な対処法を伝授する。

 

だが、本書自体が「影響力の武器」で武装している点は見過ごせない。

 

テクニックは悪用されれば恐ろしいが、正しい意図で用いられれば、素早く効果的に知識や思想を知らしめる有用極まりない利器だ。

 

テクニックの危険性を指摘しつつ、そのテクニックを存分に振う自身の行いは完全に棚に上げているところを見るに、著者は自身の意図を「正しい」と思っているのだろう。

 

だが、比喩としての「武器」であろうと、実際の「武器」であろうと、武器を持つ人間の大半は、自身の判断を正しいと信じて武器を使う。

 

歴史を振り返れば、生物兵器だろうが毒ガスだろうが、果ては核兵器だろうが、少なくとも建前上は「正しい目的」のために使用された。

 

だが、その結果が正しかったの否か、数十年、数百年たっても、明確な裁可は下っていない。

 

そもそも事象の善悪に明確な白黒をつける完璧な基準などないのだ。

 

世界各地に無数に点在する法廷で日々繰り広げられる飽くなき侃侃諤諤の議論から、幼児たちが砂場でおもちゃを取り合ういたいけな口論まで、正しさの証明が難しい証拠を探すのに苦労はない。

 

完璧な正しさがいまだ普及どころか発見・発明すらされていないのなら、我々が行動を起こす際にできることは、精々正しくあろうと、冷静沈着に物事に向き合い、学び得た道徳や良識を参照し、恐る恐る慎重に事を運び、少しでも不正や悪に傾かぬよう気を付けるくらいだろう。

 

果たしてそんな理想的な態度を常に保てる人間がいるのだろうか?

 

ナイフや銃を持ち歩けば、何かの拍子に深い思慮もなく衝動に駆られ誰かを傷つけてしまう可能性が付きまとう。

 

「大きな力には大きな責任が伴う」のは、世界を救う蜘蛛男だけでなく、庶民全般に適用される普遍の真理なのだ。

 

そして、言葉というのは、この世で最も軽くどこにでも持ち運べる武器の代表格だ。

 

本書のテクニックは、その武器の破壊力を飛躍的に向上させる。

 

「バカ」や「アホ」といった幼稚な罵詈雑言ですら、殺し合いの発端として十分な破壊力を持つというのに、それがさらに強化されるのである。

 

一度脳に刻まれた知識を消すのは難しい。

 

そして、その知識を利用して甘い汁を吸ったのなら、その快感を忘れるのは尚更に困難を極める。

 

ゆえに、本書は読者の善性を問う恐怖の本となる。

 

自衛のために持ち始めた武器が、いつしか誰かを傷つける凶器になるのはままある悲しい皮肉だ。

 

善悪の彼岸を分かつ境界は、本書を読むことで格段に越境しやすくなる。

 

誘惑に弱い人間にとっては、悪へ向かう急勾配の下り坂にすらなりうる。

 

読み終わったとき、あるいは手にした「影響力の武器」が及ぼした取り返しのつかない破局に立ち会ったとき、軽々に手を出してはならない知識がこの世にはあると思い知るだろう。

 

終わりに

本書を読むきっかけは、メンタリストDaiGo氏の動画だった。

 

彼が薦める本の一冊だったわけだが、本書を読んだ後に思い返すと、まんまとDaiGo氏の「影響力の武器」にしてやられ、行動を操作された結果だったと気づき、ほぞを噛んだ。

 

人心分析と操作誘導のエキスパートであるメンタリストの手練手管には舌を巻くばかりだが、そのメンタリストですら、専門とする言葉について、一部の人々の心を傷つける失言によって舌禍に陥り、謝罪を余儀なくされる手痛い失敗を喫している。

 

情報の普及効率が格段に向上した昨今、メンタリストに限らず、日々出遭う人々、街角ですれ違う人々の誰もが、ナイフや銃もかくやの言葉の魔力で武装する世界に我々は生きている。

 

ナイフや銃を規制する法はあっても、メンタリストですら手を焼く言葉の魔力に対する抑止力は実質皆無の現状にあっては、本書がもたらす「影響力の武器」を行使する権限と結果についての責任は、全て持ち主の理性に帰属する。

 

恐るべき武器が、正しい判断を下せる優れた理性の持ち主の手中だけにあるのを願うのは、無い物ねだりの極みと知りつつ、恐ろしさを知るからこそ、そう願わずにはいられない。