ざっくり雑記

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本『大名倒産』

 

どんな本?

歳入をはるかに上回る莫大な借金を抱えた越後丹生山松平家三万石の藩財政を立て直し、大名倒産の危機から救うべく、奇遇にも藩主を継いだ庶子・小四郎の、神仏を巻き込んだ金策奮闘記。

 

感想

歳入1万両そこそこに対し、借金25万両に加え、年一割二分の利息で借金が毎年3万両増え続ける、返済の目途の全く立たない架空の藩を舞台としている。

 

江戸時代の地方財政が逼迫、あるいは実質の破綻に陥っていたという史実を元にした作品は、近年とみに見られるようになった。

 

武芸一辺倒で銭金を不浄なものとして忌避する侍に財政を委ねれば、他人任せの放漫経営になるのは当然であり、天の機嫌に出来高が左右される作物、中でも米のみに依存したハイリスクな経済構造がそこに拍車をかければ、破綻は必定、むしろ260年もの間、曲がりなりにも体裁を保ち続けたのが不思議なくらいである。

 

治安面は非常に安定した260年余りの江戸時代も、ふたを開けて財政面に注目すれば、いつ焼け落ちてもおかしくない、火勢を強める一方の火の車だった。

 

黒船来航を待つまでもなく、江戸時代の幕藩体制は、経済破綻を機に、いつ内部崩壊してもおかしくない末期状態だった。

 

この物語を、縁もゆかりもない100年以上も前の他人事として、手放しで楽しむのは難しい。

 

なんとなれば、日本の財政運営の手腕は、江戸時代の困窮という手痛い教訓があるにも関わらず、21世紀になっても全く成長することなく、江戸が260年かけて刻んだ過ちの轍を丹念になぞり、更には拡張しているからだ。

 

このブログを書いている時点で、日本の借金は約1180兆円、これに対し前年度の税収は約60兆円、GDPに対する比率も200%をはるかに超えている。

 

江戸時代と現代の貨幣価値を単純には引き比べられないが、それでも1180兆円が25万両を凌駕するのは火を見るより明らかだ。

 

事実は小説より奇なり。

 

物語の設定としてもショッキングで背筋が冷える、越後丹生山松平家の死に体の台所事情も、今の日本の窮状に照らせば、吹けば飛ぶ些事に思えてしまうから恐ろしい。

 

本作では、藩の財政を立て直すために多くの人々が死力を尽くす。

 

のみならず、神仏までもが奇縁に導かれ、人事を尽くす人々に天祐を授ける。

 

だがそれでも、大団円には苦みが混じる。

 

人事と天命が一致団結しても、借金の完済には遠く及ばない。

 

命からがら、肉を捧げて骨を守ったというのが精々である。

 

その精々のために、義理人情に篤い人々と、愛する人々に入れ込む神々が献じた粉骨砕身の努力の描写には、涙腺が冷める暇がなかった。

 

翻って我が身と現代日本を顧みれば、架空の一地方都市とは比べ物にならない深刻な危機の渦中に沈み込んでいるというのに、この呑気はどうしたものか。

 

物語を我がことのようにハラハラドキドキしながら読めるというのに、物語より過酷な現実はまるきり他人事のように平然とやり過ごしている。

 

麻痺なのか諦観なのか、この不感症の病原は定かではないが、直視を避けているのは確かだ。

 

銭金を遠ざけた侍も、同じような心境だったのかもしれない。

 

それでも侍には少なくとも徳川の世を命懸けで守る軍人という建前があり、その建前にしがみつくことで逃げ道を確保できていたが、何一つ世の中に胸を張って誇れる建前のない自分には、いよいよ立場どころか立つ瀬もなく、ただただ肩身が狭い。

 

終わりに

本作は、想像逞しくした突拍子もない物語かと思わせて、その実態は、日本が直面する途方もない財政の危機を、読者が実感できるレベルにまで翻訳した、精巧極まる現実のミニチュアだ。

 

一地方都市である越後丹生山松平家の窮状を救うだけでも、領民の捨て身の一致団結を要し、神仏の天祐を恃みにしなければならなかった。

 

果たして今の日本の窮状を救うには、いかほどの人事と天祐が必要なのか、想像もつかないし、想像しようとするだけでも怖気を催すが、いずれ来たる小説よりも奇なる現実は避けられようもなく、ただただ怯えて待つだけの小心な自分が情けない。