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本『クモのアナンシ ジャマイカのむかしばなし』感想

 

どんな本?

ジャマイカに伝わる人頭クモ体のトリックスター、アナンシの民話集。

 

感想

AMAZON ORIGINALの海外ドラマ、アメリカン・ゴッズに登場する神々は、総じて芝居がかった大仰な語り口なのだが、中でも頭一つ抜けたエンターティナー風の長広舌を振るうアナンシ(オーランド・ジョーンズ、日本語吹替:伊丸岡篤)という神が登場するシーンは格別で、胸が踊る。

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アフリカのおしゃれ紳士・サプール風のカラフルな衣装も相まって、アメリカナイズされたくせ者ぞろいの神々の中にあってもひときわ異彩を放ち、ひとたび演説が始まれば視聴者の耳目を捉えて離さない。

 

その強烈なキャラクターは、神々の群像劇であるアメリカン・ゴッズの一登場神仏にとどまらず、その後、アナンシを主軸に据えた小説が同じ原作者・ニール・ゲイマンによって書かれている。

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ビジュアルも性格もとりわけお気に入りの神なのだが、私が知るアナンシは、ニール・ゲイマンが脚色したアナンシ、いわば二次創作だけであり、原典のアナンシに触れたことはなかった。

 

本書は、その原典に当たるアナンシの民話集。

 

とはいえ、厳密に区分するならば、本書の内容も二次創作となる。

 

アナンシの起源はアフリカだが、本書の民話は、ジャマイカに移住した人々によって語り継がれた、ジャマイカ風にローカライズされたアナンシだ。

 

そういう意味では、アメリカン・ゴッズに登場するアメリカ風にローカライズされたアナンシと、確立の経緯はさほど変わらない。

 

物語の舞台装置が南国風に置き換えられ、更には近現代の小道具も登場するあたり、原形を忠実にとどめているとは言い難い。

 

だがそれでも、アメリカン・ゴッズやアナンシの血脈に登場するアナンシの神仏像と大きな違和感はない。

 

表層はどうあれ、トリックスターの本質を共有している。

 

本書の冒頭から、アナンシはトリックスターの本領を十二分に発揮する。

 

最初の話は、トラの権威を横取りする話だ。

 

トラの権威というのは、要するに、世の中に流布するトラが登場するむかし話全般である。

 

こともあろうにアナンシは、トラが登場するむかし話の「トラ」という記述を、「アナンシ」に置き換えるようトラに持ち掛ける。

 

弱っちく小賢しいアナンシをバカにしきっているトラは、アナンシの無茶な要求を呑む代わりに、意地の悪い無理難題を吹っかけ、アナンシが四苦八苦する醜態を冷やかして楽しもうとする。

 

だが知恵者のアナンシは、機転を利かせて無理難題を見事クリアし、以降、「トラ」が主役のむかし話は、その主役が「アナンシ」に置き換わり、

 

こうして、むかし話でいつもさいごに勝つようになったのは、トラではなくクモのアナンシになりました。

(本文より抜粋)

 

アナンシにまつわる民話の起源を解説するプロローグだが、物語のメタ構造に介入して世界観を根底からひっくり返す話をトップバッターに持ってくるとは、おきて破りを本領とするトリックスターにしても大胆不敵な暴挙だ。

 

世界や物語の基盤を構成するお約束の条理を鼻にも引っかけない、極め付きのトリックスターである。

 

では、トラの権威を簒奪したアナンシが、約束された最終勝者として、トラに成り代わり世界の王者として君臨したかというと、そんなわけでもない。

 

相も変わらず貧農じみた困窮生活に喘ぎ、時に知恵を利かせてうまい話にありついても、策に溺れて痛い目に遭い、かといって反省して勤労に励むでもなく、日がなのほほんと自由気ままに生きている。

 

アナンシの支離滅裂で有耶無耶な生き様に、マーシャ・ブラウンの手に成る素朴なビジュアルはしっくりと馴染む。

 

頭のてっぺんが禿げ上がり、未練がましく残った髪は清潔感のない蓬髪、伸び放題のげじげじ眉毛に胸に掛かる髭づら、かてて加えて見るも毛深いクモの体という、胡散臭いことこの上ない風体には、王者の貫禄が宿るいかなる余地もない。

 

代わりに、トリックスターの愛嬌は満点だ。

 

恐れられるより愛されるを良しとする、反マキャベリズムの体現者には、王冠ではなくもじゃもじゃの体毛が正装として似つかわしい。

 

世界をひっくり返し、常に新鮮を保つトリックスターが、安定とは名ばかりの世界の停滞を良しとする権威を笠に着るなど以ての外だ。

 

トラの威を奪った端から放り捨て、貧しくもにぎやかな日常生活に呑気にたゆたう、そんな屈託のないしなやかな潔さが、アナンシがアナンシとして、ジャマイカに行ってもアメリカに行っても、市井の人々を惹きつけ、なぜか勇気づける所以なのだろう。

 

終わりに

クモというのは曖昧な存在だ。

 

虫のように扱われるが、厳密には昆虫ではない。

 

アナンシはその曖昧な存在であるクモの体に人間の頭をのっけて、更に曖昧さを上乗せしている。

 

デジタル化が進む一方の社会では、曖昧は駆除の対象となる。

 

だが、全てが言語化・数値化され、厳密なカテゴライズが窮まった社会に、人間が息を吐く余地はあるのだろうか。

 

クモの巣は煩わしいが、クモの巣が張る余裕も無い場所に、人が住めようはずもない。

 

アナンシはスパイダーマンのような人を救うヒーローではないが、息詰まる世界で人心に巣食う清涼剤となりうる。

 

アナンシを心の片隅に招待する余裕ぐらいは残せる生活を心がけたい。