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本『騎士道』読書感想文

 

本書の内容

中世盛期の騎士道について著された二冊の書、レオン・ゴーティエの騎士道研究書『騎士道 La Chevalerie』と、ラモン・リュイの騎士道教本『騎士道の書 Llibre de L'Orde de Cavalleria』の邦訳を合本した一冊。

 

感想

本書が紹介する騎士道に既視感を覚える日本人は私だけだろうか。

 

日本人には馴染み深く、字面も内実も似通った武士道、ではない。

 

私の脳裏で中世の騎士にオーバーラップしたのは自衛隊だ。

 

博愛を標榜し闘争の否定を教義の核心とするキリスト教が擁する武人集団である騎士は、平和を愛し憲法第九条で戦争放棄を謳う日本が擁する戦争要員である自衛隊と、そのあからさまに矛盾した有り様において双子と見紛う相似を呈する。

 

闘争が根絶した永久平和の実現が、キリスト教や日本国、ひいては人類がすべからく目指すべき究極目標であることは論を俟たない。

 

だが現実問題として、闘争は人類の抜きがたい悪習と化している。

 

節操のない人類の加速度的繁栄が、限られた資源の奪い合いへ発展するのは必定だ。

 

資源の平和的分配には、日々の窮乏を堪えつつ、粛々と公正な調停を進行する並外れた自制と理性を要するが、残念ながら、それらはいまだかつて人類が持ちえたためしのない素養である。

 

畢竟、自制と理性を欠いた利害の衝突は、銃刀が際限なく産み出す血肉のインクがしたためる、膨大な戦争の履歴で人類史を塗り潰してきた。

 

平和や安全が、闘争の戦利品として得る他にすべがない賞味期限の短い希少品である現実にあっては、平和を愛する敬虔な信仰や、安全を求める真摯な努力は、飽くなき軍拡競争の入り口にしかならない。

 

高潔な理念の足下を濡らす、おびただしい犠牲者の血肉の汚濁と腐臭を覆い隠し封じ込める、清潔で頑丈な隠れ蓑こそが、騎士道の本質である。

 

きらびやかで見目麗しい鎧装束や、品格漂う厳粛な典礼や、武勇や忠節を称える武勲詩や、高貴な血統を尊ぶ伝統や、慈悲と愛を掲げる厳格な規範といった、騎士道を構成する数々の要素は、騎士の剣が続々と築く屍山血河の惨景から目を逸らすために、丹精込めてしつらえた目くらましなのだ。

 

当たり前の人情だが、誰でも自分や自分のやっていることが悪だとは思いたくない。

 

ゆえに、人の行動理由には自己正当化や自己弁護の傾向が働く。

 

時にその理由は、自己正当化や自己弁護の傾向が先に立つあまり、通らない筋を通そうとする長々とした屁理屈になる。

 

本書が取り上げる騎士の十戒や、対外的に発表される自衛隊の運用に関する法的根拠の文言は、まさにこの典型に該当する。

 

古来より、暴力の不当性は誰もが実体験を通して骨身に沁みて理解していながら、さりとて、自らも不当な暴力に手を染めねば生き残れない現実との齟齬が、古今東西を問わず、多くの人々の良心や道徳を悩ませていることが、本書が克明に語る騎士道の窮屈な規範と、憲法第九条を盾に批判にさらされる自衛隊の難しい立場から見て取れる。

 

人間の本性に深く根付く、闘争に惹かれる忌むべき醜悪な生態を怯まず直視し、暴力が持つ魔性の魅力に打ち克つ、真なる平和への愛と自制の気概を人類が獲得するまで、騎士道とその係累は、姿形を変えながら、時代も国境も文化の隔たりも越えて、暴力の弁護人として多忙な日々を送るのだろう。

 

終わりに

本書の編訳者解説を読んで驚いたのは、数百年前、十字軍の時代に設立された騎士団のいくつかが、今なお存続し、実社会で活動し続けている事実だった。

 

本書の謝辞には、サヴォイア王家諸騎士団なる、たいそう立派な名称が挙がる。

 

どうやら日本にも支部があるらしく、自己啓発の大家である苫米地英人氏が代表を務めているようだ。

 

現代の騎士団は、武人の様相はなりを潜め、キリスト教の理念を順守する慈善団体としての面が強まっており、蛮族や異教徒を敵に回した防衛・侵略戦争からは遠くかけ離れた活動に精を出している。

 

積み重ねた伝統や練り上げた規範の自縄自縛に陥った騎士団は、時代が進むにつれて合理化の一途を辿る闘争の潮流に乗り損ね、時代遅れとなった武力を捨てざるを得なくなった。

 

無線誘導のスマート爆弾と、機関銃を積んだドローンが飛び交う戦場に、気品と名誉を重んじる教会の尖兵が名乗りを上げて剣を振るう光景は場違いが過ぎる。

 

だがそれは悪いことではなかった。

 

皮肉なことに騎士団は、時代から取り残されたおかげで、平和と愛を標榜するキリスト教の理念と矛盾することのない慈善団体へと転身を遂げ、1000年の命脈を永らえた。

 

建前であった騎士道という屁理屈が、武器を捨て存在意義を失った騎士団の、空席となった核心を代替し、遂に建前と本質が一致を果たしたのだ。

 

自衛隊もまた、災害派遣など、サバイバルのスペシャリストとして活躍することで、軍事組織とは異なる存在意義を内外に示し、曖昧な立場を少しでも安定させるべく、暴力以外で社会から承認されるアイデンティティの確立に努めている。

 

いずれ自衛隊にも、騎士団と同様に、無用の長物となった兵器を捨て、空虚となった存在意義を崇高な建前で代替し、屈託なく本領を発揮できる日がやってくるのだろうか。

 

ひいては、世のあらゆる軍事組織が、それぞれが掲げる崇高な「騎士道」だけを残して武器を捨てる日を願ってやまない。