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一流知識人全力プレゼン×100(以上) 本『2000年間で最大の発明は何か』

概要

「2000年間で最大の発明は何か」という単純ながら興味深いネット上の問いに寄せられた、数多の名答・珍答の中から、選りすぐりの100強の回答とその理由を紹介し、西暦2000年に渡る人類史の総括を発明の観点から試みる。

 

印刷機無双

いわゆる知識人たちに知的総力を動員した持論を開陳させ、灼熱した議論を戦わせる「2000年間で最大の発明は何か」という問いの魅力は、名だたる英雄を惑わしトロイア戦争の火種となった伝説の美女・ヘレネの魔的な魅力を彷彿とさせる。

 

ヘレネ級の良問という誘蛾灯に引き寄せられた知識人たちの「知」で「知」を洗う競演はすこぶる読みごたえがあり、ともすれば回答一つを咀嚼するだけでも脳が疲労困憊する。

 

この質問は「エッジ(前縁)」と銘打ったサイトに登録した会員に、2000年紀が終わりに差し掛かる1998年11月に投げかけられた。

 

知のエッジ(前縁)に集結した各界一流の科学者や技術者が、同業の手厳しい批評や喧々諤々の争論を重々承知の上で寄せた回答の精選だけあって、どれをとっても独創性とユーモアに溢れ、理論武装は堅牢強固で隙が無い。

 

一方で、回答や理由に挙がる「最大の発明」候補はある程度絞られてくる。

 

大方の回答者が「グーテンベルク印刷機」に言及しているのは、現代で評価される知識人の知識というものが、言語というプラットフォームに依存した狭義の知識に偏っており、その言語情報の普及に多大な貢献を果たした印刷機の価値を大きめに見積もる傾向があるからだろう。

 

その引っ張りだこの引用ぶりを見るにつけ、印刷機無双と評したくなる。

 

知識人である以上、知のカンブリア爆発の立役者であるグーテンベルク印刷機を避けて通ることはできず、そこを終着点として万人受けする持論をまとめるか、あるいはそこを出発点として独特の持論を展開する、という回答の形式は、この質問に対するスタンダードな正攻法となっている。

 

読んだ印象では、印刷機の次点でコンピュータやピルという回答が挙がっている。

 

コンピュータは知の能率と可能性を劇的に拡張するという点で印刷機の親類であり、やはり知識人を標榜するならば避けて通れない発明だが、ピルは意外だった。

 

が、これも理由を読めば合点がいく。

 

ピルは人類のおよそ半分を占める女性にバースコントロール権をもたらし、生涯における活動の自由度を劇的に高め、オーバーに言えば、人類の知的生産性を倍加した。

 

その点で、ピルは印刷機やコンピュータに負けず劣らず人類の知的資産の充実に貢献している。

 

全力プレゼン

数だけ見れば印刷機やコンピュータやピルに軍配が上がりそうだが、科学や技術で結論を導くのは、多数決ではなく理論の正しさである。

 

少数意見にも、ともすれば印刷機やコンピュータやピルを凌駕する説得力がある。

 

その説得力の源は、回答者の強力なプレゼン能力にある。

 

プレゼンテーションには様々な要素が含まれるが、情報と言語は欠かせない。

 

知識人にとって、情報と言語は商売道具であり、一方で数少ない拠り所でもある。

 

そして議論というものは、知識人の商売道具にして数少ない拠り所を武器にして鎬を削る戦場である。

 

その戦場における敗北は、知識人のアイデンティティや、ともすれば生活を危うくしかねない、文字通りの死活問題となる。

 

大多数の非・知識人にとっては雑談の話題に過ぎない「2000年間で最大の発明は何か」という質問を題材にしたこの愉快な催しも、知識人にとっては些細なミスや気の緩みがアイデンティティの存亡にかかわる真剣勝負となる。

 

いきおい、ひとかどの知識人であればあるほど、凡そ質問に対しては、不退転の決意を以て臨む懸命の全力プレゼンで応えることになる。

 

そんな全身全霊の投入を余儀なくされる真剣勝負など避けて通ればいいものだが、曲がりなりにも知識人を名乗る以上、そうは問屋が卸さない。

 

中世の騎士たちが、己の武勇を世間に知らしめるために命を懸けて文字通りの戦場を駆けずり回らねばならなかったように、知識人たちは議論の場を通じて己の知性の価値を証明し続けなければならず、いわば知の自転車操業に囚われているのだ。

 

そんな知の自転車操業に汲々とする一流知識人が、職業人生を懸けた選りすぐりの全力プレゼンを100(以上)もぎゅうぎゅうに詰め込んだ本書は、バリエーション豊かな知のアラカルトを胃袋が破裂するまで満喫できる、贅沢極まりない内容の一冊となっている。

 

とんち

問われれば答えを思い浮かべるのは、知識人に限らない人類共通の反応だ。

 

本書の読者も、否応なく自分なりの「2000年間で最大の発明は何か」という質問に対する答えを反射的に思い浮かべるだろう。

 

私もその例に漏れず考えてみたが、本書の優れた回答群に圧倒された後では、どんな回答もひどく見劣りがして自信喪失に陥る。

 

相手は頭の中身だけで生計を立て社会的地位を確立している知の巨人族なのだから、知の虫けらたる私に、真っ向勝負で歯が立つ道理はない。

 

とはいえ、自信喪失したまま本を棚に戻すのも癪なので、卑怯を承知で、ここはとんちを利かせてお茶を濁し、自信の挽回を図る。

 

というわけで、苦心の末にひねり出した私の回答は「西暦」だ。

 

理由は以下の通り。

 

「2000年間で最大の発明は何か」という問いの「2000年」とは西暦2000年を指し、これはこの問いの枠組みとなっている。

 

そして「最大の発明は何か」の部分は、発明の「大きさ」を問いている。

 

問いを読み換えれば、「西暦2000年間という枠組みの中で、最も大きい発明は何か」となる。

 

枠組みより大きな中身は無く、枠組みの大きさ=発明の最大値となる。

 

西暦は紛れもなく人類が発明した恣意的な時間区分であるから、この質問が指す「最大の発明」に当てはまるだろう。

 

……書いていて、こんな面白みのない負け惜しみは、とんちではなくただの屁理屈だと気付いた。

 

矮小な自我を守ろうと、無い知恵を必死に振り絞った結果がこれでは、自信どころか自尊心すら喪い、もはや立ち直れる気がしない。

 

次の2000年間の間に、喪った自信と自尊心を取り戻す発明が成されることを切に願い、深い鬱屈を抱えたまま、観念して本を棚に戻す。