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ソーシャルメディアの生贄……本『今すぐソーシャルメディアのアカウントを削除すべき10の理由』

 

概要

ソーシャルメディアがもたらす主だった10種類の悪影響について解説し、警戒と退避を呼び掛ける書。

 

真の顧客

フェイスブックツイッター、インスタグラム、スナップチャットといったソーシャルメディアは、ユーザーの自由意思を奪い、狂気に追い遣り、最低の人間に貶め、真実を歪め、ユーザーの言葉を意味のないものにし、共感力を低下させ、不幸にし、経済的安定を脅かし、政治を歪め、ユーザーの心を嫌っているから、すぐにアカウントを削除して利用を停止した方がいいというのが、著者の勧告だ。

 

ソーシャルメディアが多彩な悪意でユーザーを苦しめる、その理論的背景の詳細については本書の解説に譲るとして、そもそもなぜソーシャルメディアがユーザーの不利益になるようなサービスを提供しているのかについて考える。

 

本書にも書かれているが、その理由は、ユーザーはソーシャルメディアの顧客ではないからだ。

 

大抵のサービスでは、ユーザーと顧客は一致している。

 

だが、ソーシャルメディアに関してはそうとは限らない。

 

例えばフェイスブックのユーザーはソーシャルネットワークサービス(SNS)を利用するが、金銭的な対価を支払うわけではない。

 

なのにフェイスブックGAFAの一角に堂々と君臨する、莫大な収益を誇る世界的大企業だ。

 

となると、フェイスブックに収益をもたらしている何者かが、フェイスブックの真の顧客ということになる。

 

それは広告主だ。

 

各種の広告をユーザーに提示するサービスに対し、広告主は対価を支払い、フェイスブックの牙城を支えている。

 

ここで重要なことは、企業はあくまで顧客の利益のために活動するのであって、ユーザーの利益は二の次、あるいはそもそも考慮しないという点だ。

 

言い換えれば、企業の目的は顧客であり、ユーザーは手段でしかない。

 

ゆえに、ユーザーが不利益をこうむろうと、顧客に利益が出るシステムは、フェイスブックにとっては好都合なのだ。

 

利便性の高いサービスを提供し、大量のユーザーを集め、そのサービスに広告を載せることで、広告主の収益の向上に寄与するというのが、ソーシャルメディアの一般的なビジネスモデルだ。

 

これ自体は何一つ問題のない、非常によくできたビジネスモデルだが、一方で、広告のターゲットとなる大量のユーザーを確保するために、サービス事業者がなりふり構わなくなるインセンティブが発生する。

 

その結果、公平性や倫理観を度外視し、節度を失い、ただひたすらにユーザーの接続数と接続時間の増加を志向する、偏向したアルゴリズムの横行を許すことになる。

 

哀しいかな、人間には高潔より俗悪に強く惹かれる性質がある。

 

より過激で、より下品で、より醜悪で、より卑猥で、より辛辣なコンテンツの方が、ユーザーを惹きつける。

 

高度な機械学習能力を持つアルゴリズムは、ユーザーの嗜好を敏感に察知し、その嗜好を強烈に刺激するコンテンツへ誘導する。

 

その誘導に従って強烈なコンテンツを視聴したユーザーの行動履歴は企業のアルゴリズム再帰してデータとして収集される。

 

すると、アルゴリズムは、このユーザーの好みが強烈なコンテンツだと学習し、ユーザーをより強力にサービスに惹きつけておくために、更に一層強烈なコンテンツへとユーザーを誘導する。

 

このフィードバックループが何順もしつこく反復することで、ユーザーの元に送られてくる各種の広告やコンテンツの内容の偏りや過激さは増悪の一途を辿る。

 

一流のソーシャルメディア企業の誇るアルゴリズムは、暴力的なコンテンツを好むユーザーに、何の事件も起こらない昼下がりの公園の風景を送ったりはしない。

 

あるいは、芸能人の不祥事に対するえげつない誹謗中傷の閲覧を好むユーザーに、中世の詩人が春の訪れについて詠んだ名詩を提示することも無い。

 

情操教育には良くても、ユーザーをサービスの虜にする役に立たないコンテンツに意味は無い。

 

多少公序良俗に逆行するようないかがわしいコンテンツでも、ユーザーを惹きつけておけるコンテンツが、ソーシャルメディア企業にとっては良いコンテンツなのだ。

 

朱に交われば朱くなる

だが、低劣な方向へエスカレートする一方の俗悪極まりないコンテンツにひっきりなしにさらされ、中毒に陥り、その無間地獄から抜け出せなくなったユーザーの人格が荒廃していくのは想像に難くない。

 

朱に交われば朱くなる。

 

劣悪な情報ばかりを大量に摂取する生活が続けば、いかなる聖人君子も品性を喪い、身を持ち崩すのは時間の問題だ。

 

この格言が成立した年代を考慮すると、先の「朱」に当たる人数はたかが知れていたはず。

 

だが、ソーシャルメディアを介すると、接する「朱」の数は一挙に全世界規模、時には数億人にまで拡大する。

 

朱どころか、墨汁の大海に水の一滴が落とされるようなもので、染まらずにいるのは不可能だ。

 

そして、一度染まった水を脱色するのは至難の業だろう。

 

ソーシャルメディア特有の、これらの傾向と仕組みが、ユーザーを真の顧客への生贄へと肥え太らせる脱出不能の飼育場を構築している。

 

繰り返すが、ソーシャルメディアの真の顧客はユーザーではなく広告主だ。

 

ユーザーはソーシャルメディアの生贄でしかなく、便利で魅力的に見えるサービスの数々は、生贄を惹きつけ逃がさず、肥え太らせる美味しいエサであり、決してユーザーの健全な生活や幸福に寄与するものではない。

 

とはいえ、過激な題名から誤解されるかもしれないが、本書はソーシャルメディアの有用性を否定するものではなく、危険性を指摘しているだけだ。

 

いわば、包丁の正しい取り扱い方について解説する本だ。

 

包丁は正しく使えば美味しい料理を作れるが、危険を弁えず雑に扱えば、怪我を負う。

 

ソーシャルメディアも同じで、正しく扱えば、世界中の大勢の人々との有益な交流を可能とし、人生に豊穣をもたらす文明の利器の最たるものになる。

 

一方で、その有用性に比例して誤用した際の危険性も桁違いであり、一歩間違えば、本書が挙げた10の悪影響どころではない被害の発生源となり、たやすくユーザーの人生を狂わせる。

 

不用心にソーシャルメディアに触れて火傷する前に、ぜひ一読しておきたい必読の一冊。