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格差問題、上から見るか下から見るか……映画『THE BATMAN』


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概要

頻発する凶悪犯罪が人々の安寧を脅かす大都市・ゴッサムシティ。

 

資産家だった両親を通り魔に殺されたブルース・ウェインロバート・パティンソン)は、犯罪者への復讐に執念を燃やし、夜な夜なゴッサムシティの犯罪者を取り締まるダークヒーロー、バットマンとなり街の平和を守っていたが、リドラーポール・ダノ)と称する連続殺人犯の痕跡を追ううちに、己の存在を根底から揺るがす恐るべき過去と対峙する。

 

格差問題、上から見るか下から見るか

映画の出来の良し悪しをうんぬんする以前の問題として、上映開始から程なくして、強烈な既視感に襲われた。

 

映画の内容そっちのけで、ものすごくどこかで見たような雰囲気、いわゆるデジャヴュの感覚に呑み込まれた。

 

思い当たったのが、これ。

 

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同じ世界観を下敷きにしたスピンオフということに加え、敵役の設定、ひいてはその背景に潜む社会問題が全くと言っていいほど丸被りしている。

 

違うのは視点だけ。

 

本作が扱っているテーマは、近年とみに世間で取り沙汰され、もはや基礎教養となった格差問題だ。

 

『JOKER』では、格差問題を、格差の下方の極で踏みにじられる社会的弱者ジョーカーの視点から睨み上げ、かたや本作『THE BATMAN』では、格差の上方の極に君臨するバットマンこと大富豪ブルース・ウェインの視点から恐々と覗き下ろす。

 

格差問題、上から見るか下から見るか、という視点の違いがあるだけで、乱暴にくくってしまえば、『JOKER』と本作は同じ構造の極めて似通った事件の顛末を丹念に描く。

 

力で犯罪者を制圧するバットマンのヒーロースタイルは、本作(そして『JOKER』)では全く無力だ。

 

個別の犯罪には対処できても、次から次に犯罪者を産み出す格差社会の構造そのものを崩さない限り、負けが確定した鼬ごっこの輪からは抜け出せない。

 

更には、自らが資産家としてその格差社会を強固に固定する立役者であり、つまりは犯罪の温床の守り人であるという事実を突きつけられる段に至っては、バットマンという存在の意義が全く逆転しまい、正義の権威だったものが、矛盾の権化へと失墜してしまう。

 

二作を通じて描かれるのは、正義と悪の戦いではなく、悪の生産装置と成り果てた社会そのものの邪悪さである。

 

どのような要素も、悪の生産装置を駆動する部品の一つであり、その個々の活動の意味は判然としなくても、駆動力は必ず悪へと伝導する。

 

正義を標榜するバットマンも、その部品の一つであり、悪の生産装置を駆動する欠くべからざる要素だ。

 

リドラーは、その大いなる矛盾を問い質す。

 

明確な答えは示されない。

 

矛盾に徹底抗戦する決意を表明するバットマンの言葉は、リドラーの問いかけが呼び起こした災いに呑み込まれたゴッサムシティの摩天楼に虚しく響く。

 

エンディングで、同士として死線を共にしたキャットウーマンゾーイ・クラヴィッツ)にすら頭ごなしに否定されるバットマンの決意表明は哀れを誘う。

 

だが仕方ない。

 

バットマン自身が己の決意を信じられないというのに、誰が彼の決意を信じられるというのか。

 

ジョーカーが社会の底辺で格差問題に苦しめられたように、バットマンは社会の頂点で格差問題に悩まされる。

 

既視感は著しいが、異なる視点を擁する二作を観ることで、ゴッサムシティが象徴する格差問題の邪悪な全貌の立体視が可能となり、いよいよ視聴者である我々も組み込まれている病み切った社会の輪郭と奥行きが鮮明に浮かび上がり、目と鼻の先に迫りくる。

 

終始陰鬱な雰囲気の映画で、3時間の長丁場の果てに至ったエンディングにも、本質的な救いが無いのも、『JOKER』とそっくりな後味だ。

 

映画の最後に行き着くのは、解の無い問いに延々と取り組み続けねばならない無間地獄の入り口だ。

 

だが、絶望が確定した道行きでも、バットマンは歩み続ける。

 

リドラーの謎かけを真っ向から引き受け、止まることは無い。

 

DCコミックスでも数少ないただの人間が、他の超人と肩を並べるヒーローとして遜色ない存在感を放つのは、まさにその不屈の精神だ。

 

苦い矛盾を呑み込み、魂を刻まれ、前方には絶望しか待っていなくとも、満身創痍の体を引きずりつつも、着々とした邁進をやめないバットマンの後姿にこそ、人々は希望を見出し、再び歩み出す気力を奮い立たせる。

 

それもこれも、富と健康に恵まれた屈強な人間だからこそ持ちうる前向きな精神のなせる業と言ってしまえばそれまでだし、二作の底流に流れる人間社会への深い不信感に照らせば、そうやって斜に曲解したくなるのも無理はない。

 

安直な希望で未来を明るく照らし出すような、都合のいい正解は見つからない。

 

そんなものがあるのなら、格差問題がここまで深刻な諸悪の根源として確固たる地歩を固められるはずがない。

 

それでも問いから逃げずに解を求め、闇の底で藻掻き続ける不屈の精神。

 

それこそが、正義ならざるダークヒーロー、バットマンの真の存在意義なのだと気付かされる。