映画『トランスポート』
どんな映画?
薬物中毒で昏睡状態に陥った恋人・コーディを救うため、タイムマシンで過去を改変する若者・アートの悪戦苦闘と悲痛な決断を描いた映画。
感想
科学考証バッチリのSF巨編を期待させるPrime Videoのサムネイルにものの見事に騙された。
だが、期待外れにも関わらず、鑑賞後の満足感は期待以上という、詐欺の偽看板よりむしろ得をする不思議な良作。
広報担当の的外れな宣伝方針がいい意味で観客の虚を衝き、作品の実態とのギャップが、元々優れた作品の新鮮味を強化する。
ごくごく稀に発生する、製作サイドの意図せぬ様々な外部条件との意外な巡りあわせが、作品自体の面白さを一層高い次元に押し上げた稀有な一例。
こういう人智を超えた作品との出逢いには、本当に幸福を感じる。
タイムリープものだが、SFではなくおとぎ話に属するファンタジー。
肝心のタイムマシンは、生地のすり切れた粗大ごみのリクライニングソファに、クリスマスツリーの電飾をざっくり巻き付けた代物で、機械的構造を持つ物体という意味でなら確かにマシンはマシンだが、作動原理は空飛ぶ絨毯と似たり寄ったりの摩訶不思議パワー。
この「タイムマシン」を物語に持ち込む、得体の知れない廃品あさりのホームレス・ハーベイの、頼りがいはあるが怪しげな風体は、さながらシンデレラに魔法の馬車を提供する魔法使いを彷彿とさせ、本作の、論理を超越したおとぎ話的な雰囲気をいよいよ本格的なものにする。
だが、本作はおとぎ話というには少々苦い。
ケチなヤクの売人で、自身もヤク中の若者・アートと、紆余曲折を経て実家を飛び出し、今は体を売ってその日暮らしを送るこれまたヤク中の恋人・コーディのカップルは、格差社会のヒエラルキーからもはじき出された、社会の周辺に疎外された明日をも知れぬ身の上だ。
互いの存在だけを唯一の拠り所とし、享楽で不安を紛らわせながら、かろうじて辛い日々に耐えている。
そんなかけがえのない比翼であるコーディが、薬物中毒により突如昏睡状態に陥ったのだから、アートの絶望は計り知れない。
タイムマシンを手に入れたアートは、コーディが薬物中毒にならないよう、彼女が身を持ち崩して薬物中毒に至ってしまった原因となる出来事を未然に防ごうと過去へ跳ぶ。
普段の会話の端々に上る、彼女の人生を捻じ曲げた辛い思い出をにおわせるかすかな手掛かりを頼りに、アートはコーディの過去を辿り、短慮で不器用ならではの滑稽な失敗を繰り返しながらも、ターニングポイントと思われる不幸の数々を予防すべく奔走する。
だがいくらあがいても、現在のコーディの状態は一向に改善せず、ついに彼女は命を落とす。
そしてアートは気づく。
コーディが薬物中毒になり、命を落とす決定的なきっかけは、彼女がこの町に流れ着いたとき、アートが彼女と出逢い、ヤクを売りつけたことだと。
女子高でのいじめや兄の自殺、幼少期の暴行などより、自身がコーディを死に追いやる決定的な元凶だと悟ったアートは、二人の出逢いのタイミングにタイムマシンで駆け付け、まさにヤクを売りつける直前に過去の自分を警察に通報して逮捕させ、彼女が薬物中毒になる可能性を潰し、命を救う。
だがそれは同時に、コーディと恋人関係になるきっかけの喪失でもある。
切ないのは、アートがこの結果を十分に理解していた点だ。
それでも躊躇なくノータイムで悲痛な決断を実行に移せたのは、コーディへの想いが、短慮で浅墓なヤク中ならではの、理屈抜きの純愛だったからだ。
愚かであるからこそ、余計な打算や迷いに囚われず、単純な愛に殉じる決断に身を委ねられる。
愛ゆえに愛を失う本末転倒な結末に猪突猛進するアートが哀しくも格好いい。
論理と競争原理が支配する冷徹な社会に馴染めず、放逐された二人だからこそたどり着けた、おとぎ話のような浮世離れした境地がそこにある。
終わりに
本作のタイムマシンは設定上、未来へも跳べる。
だが、アートは未来へ行こうなどと思いつきもしない。
差し迫った恋人の死を回避することに夢中になっていたからかもしれないが、もしかすると自分たちの未来に先がないことを薄々自覚し、恐れていたからかもしれない。
それゆえに、命を拾った代償に互いの出逢いが無かったことになった赤の他人の二人が、同じバスで街を出るエンディングは感慨深い。
タイムマシンという奇跡でも未来へ辿り着けなかった二人が、何の変哲もないみすぼらしいバスで、互いを知らぬままありえなかった未来へと突き進む。
潰えるはずだった愛の可能性が未来へと繋がる少々甘めのエンディングの余韻が、悲痛な苦みに満たされたそれまでの展開で疲れた心を洗ってくれる。
時空ほど強力なものはない
勝てるのは 愛情くらいか
過去改変がうまくいかず意気消沈するアートを慰めるハーベイの言葉が、鑑賞後にはさらに身に染みる。