ざっくり雑記

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人間とは何か

 

老人と若者の喧々諤々の議論を通じて、人間の自由意志に関する著者の辛辣な持論らしきものが展開される本。

 

著者の思想の代弁者と思われる老人は、人間には自由意志などなく、ただ外的な環境と日々の生活によって彫琢された個々の気質から生じる衝動に従って行動を起こすだけの機械だと断言する。

 

人間の尊厳を卑小な機械へと失墜させる老人の極論を、若者は色々な事例を挙げてなんとか反証しようと懸命に抗弁するが、逆にそれらの事例の底に潜む、人間の機械的な動機の存在を的確に指摘され、最終的には老人の意見に屈してしまう。

 

老人の主張は論理的で隙が無く、かつ現実の事例にも破綻なく当てはまり、人間の本質に肉薄しているように聞こえる。

 

とはいえその論法は、「人間はタンパク質の塊だ」「生き物は遺伝子の乗り物だ」というような、真実ではあるが、そのものの本質の任意の一部だけを切り出してセンセーショナルに修飾することで、聴衆の認識の視野を狭め、自分と同じ悲観的な思想を効果的に埋めこもうとする、印象操作を含む扇動的なやり方に通じるものがある。

 

作中で老人と若者が危惧しているように、この考え方が正確に人口に膾炙するようになれば、人間には本来の意味での自由意志などなく、ただただ世界から絶え間なく降りかかる刺激に反応し、実質的には画一な活動を生まれてから死ぬまで繰り返す、ひたすら受け身の奴隷機械であるという風潮が蔓延し、人々から生きる意欲や意義を奪いかねない。

 

それが故に、作中の老人は自身の達観を出版するなどして広めることには消極的であるが、それもまた機械的な反応に過ぎないと老人は持論に結びつける。

 

作者のマーク・トウェインは、トムソーヤの冒険のような明るい冒険活劇で人気を博した売れっ子だったが、晩年の作風は暗く悲観的なものだったという。

 

この作品もその暗く悲観的な作品群の一つであり、この若者と老人の議論は、そのままマーク・トウェイン自身の内心に生じた、人間というものについての対立する捉え方のせめぎ合いのメタファーなのかもしれない。

 

だとすれば、結局若者が論破され、老人の思想に迎合してしまう結末の物悲しさが一層いや増して響く。