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不在の騎士

 

不在の騎士 (河出文庫)

不在の騎士 (河出文庫)

 

 

本文にはネタバレを含みます。

 

身に纏う傷一つなく磨き抜かれた白金に輝く鎧にふさわしい品格と武勇を兼ね備える騎士、アジルールフォだが、その鎧の中は空っぽな「不在の騎士」である。

 

不在の騎士であるアジルールフォの遍歴を主軸に、彼に関わる人々の数奇な運命が交錯する群像寓話ファンタジー

 

アジルールフォがなぜこのような奇妙な性質を持つにいたったのかの経緯ははっきりとは述べられないが、自他ともにその異常に頓着するものはいない。

 

むしろ自他ともに問題とするのは、彼が騎士としてふさわしい資質の持ち主であるかどうかだ。

 

物語の途中でアジルールフォはひょんなことから騎士としての資格を疑われ、己の立場を証すため遍歴の旅に出る。

 

その終端で、彼は騎士としての資格を失い、その結果消失する。

 

不在の騎士が騎士でなくなった結果、ただの不在に還ったのである。

 

だが資格の失格はなんのことはない、彼と周囲の早とちりだった。

 

だというのに、鎧の抜け殻と置き手紙を残して彼はあっさりと存在をやめてしまう。

 

赫々たる武勲を上げ怪物退治すら易々とこなす知勇優れた傑出の騎士であるアジルールフォは、しかし自分が何者でもなくなった途端に儚く無に帰した。

 

この物語にはアジルールフォに負けず劣らず個性的で象徴的な属性や特質を備える人物が何人も登場し、彼ら彼女らのやり取りや関係性もまた個性的で象徴的である。

 

登場人物の造形が秀逸なので、読者が提示される情報の意味を解釈する余地が非常に広く深い。

 

その自由解釈の最たる対象がアジルールフォである。

 

アジルールフォの兜の空洞は、自由奔放に展開する読者の解釈を存分に投影して余りある広大無辺のスクリーンとなる。

 

だが、何を投影するにしろ、それはささやかな反証ですら致命傷となるほど脆い観念の影に過ぎず、その観念の影だけを存在の唯一の礎としていたアジルールフォは観念を否定されるとなすすべなく消失の運命に飲み込まれた。

 

人間が自分や他人に課す観念の脆さを衝撃的な消失の運命で体現するアジルールフォであるが、同時に、同じように観念を否定されても新たな観念を得たり、あるいは空白のままでもたくましく生きていく他の人々も物語に登場し、アジルールフォの悲劇が落とす暗い翳を振り払って、未来を志向する明るい希望を示唆して物語は結ばれる。

 

アジルールフォに象徴される観念の持つ不気味な存在感と不釣り合いなほどの脆さ、そして観念に振り回される矮小な存在でありながら、その変節や消失にも負けず力強く前進できる人の強さが明瞭な対照をなしつつ同居する一冊。