ざっくり雑記

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笑いと治癒力

近代医学がさじを投げた難病すら治癒する「笑い」の力を称賛する一冊……ではない。

 

当たり前だが、病気になったとき、暗く陰鬱な気持ちでいるより、明るい快活な気持ちでいる方が病気の治りがいいに決まっているのは直観的にわかる。

 

だが、それが本書の主要な論点ではない。

 

笑いに付随する明朗な情緒がもたらすポジティブな治療効果についてももちろん言及しているが、本書の大半を占めるのは、なぜ現代の病気の治癒過程において「笑い」が少ないのか、という医療環境に向けた問題提起だ。

 

もともとこの世界には医学というものは存在せず、人間を含めた動物には病やケガを自力で癒す自己治癒力が備わっている。

 

その自己治癒力を補助したり促進したりする技術として医学が発展してきたが、皮肉にも、現代ではその医学の不適切な適用が自己治癒力を減損し阻害し、かえって傷病の治癒にあたって邪魔者となっている場面もあると筆者は自身の経験や調査をもとに指摘する。

 

例えば、先端科学の産物である薬効あらたかな薬剤が数多く出回っているが、強力な作用があるということは、それに比例する強烈な副作用が付いて回ったり、あるいは誤った処方では、強力な作用そのものが患者の健康を著しく損ないかねず、その使用にあたっては慎重な検討が必須であり、時には薬剤の使用そのものを取りやめる選択肢も当然なければならないのだが、病院を受診すれば何かしらの薬剤が当たり前のように処方されるケースがほとんどであるのが実情である。

 

また、科学的に正しい姿勢と誠実な情報開示を優先するあまり、残りわずかな余命や深刻な病状のような悲観的な事実を患者へ露骨に伝えてしまい、ただでさえ病気で参っている患者を少なからず動揺させ、生きる気力をそぎ、ひいてはそのストレスにより病状を悪化させて寿命を縮めてしまうケースも少なくない。

 

筆者は、医者を含めた医療従事者と患者双方に、情緒を廃した科学的な医療処置による一方的な介入だけでなく、患者自身の自己治癒力の存在を認め促進する働きかけも重視し、患者の主体的な取り組みを治療過程に取り入れ、本来の目的である傷病の治癒を達成するために利用できる資源を余すところなく活かせる総合的な協力体制の構築を求めている。

 

今日では、難しい病気になっても、延命や治療優先の盲目的な医療処置だけではなく、生活の質も尊重した柔軟な選択肢も提示される世の中になりつつあるが、そういった先進的な、しかし本質的な理念を、医師の権威が勢力を誇っていた1960年代に、自身の難病の治療において実践した筆者の、信念を貫く文字通り命がけの覚悟には率直に感嘆する。