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不死細胞ヒーラ ヘンリエッタ・ラックスの永遠なる人生

 

 現代社会に生きるほとんど全ての人間がその恩恵に浴す、数多くの医療技術の発展に尋常でない貢献を果たし、今後も医学の発展に欠かせぬ存在として永遠に生き続けるであろう女性、ヘンリエッタ・ラックスにまつわる、その功績に反してなおざりにされてきた数多くのエピソードを克明に綴る医学ドキュメンタリー。

 

 1920年アメリヴァージニア州ロアノークで生まれたヘンリエッタ・ラックスは2020年の現代でも生きており、100歳を超えているにも関わらず、一向に死ぬ気配はなく、物騒な仮定だが、地球を焼き尽くし人類を絶滅させでもしない限り殺すこともできない。

 

「生きている」ことの定義が、ヘンリエッタ・ラックスを構成する細胞が増殖し続けていることを意味するなら。

 

 記録上、1951年10月4日午前0時15分にヘンリエッタ・ラックスは亡くなった。

 

 死因は子宮頸癌に端を発する全身に転移した癌が引き起こした尿毒症だった。

 

 享年は31歳。

 

 しかし、その8ヵ月前の2月5日に採取された初期の子宮頸癌細胞は今なお世界中の病院や研究室、あるいは専門の工場で盛んに増殖・培養されている。

 

 通常、体から切り離した人間の細胞を長時間生かすのは難しく、人為的な増殖はそれに輪をかけた至難の業だった。

 

 だが、ヘンリエッタ・ラックスの子宮頸癌細胞はその常識をあざ笑うかの如く並外れた生命力を発揮し、整った環境に置かれると、彼女の正常細胞のおよそ20倍という「雑草みたい」なすさまじい勢力で増殖し始めたのだ。

 

 しかも、正常なヒト細胞の分裂にはヘイフリック限界と呼ばれる回数の限度、要するに寿命があるが、ヘンリエッタ・ラックスの子宮頸癌細胞は際限なく分裂し、適切な栄養さえ供給されれば延々と増殖し続ける。

 

 つまり、不死なのだ。

 

 医学を含む広範な生体科学一般における、無限に増殖し続ける不死化したヒト細胞の利用価値は計り知れない。

 

 癌細胞は正常なヒト細胞ではないが、それでもなお正常なヒト細胞の特徴を多く有しており、これ以上なく有益な実験材料となる。

 

 しかもそれが安価に安定して大量に供給される状況は、医学の発展にロケットエンジンを積んだような推進力をもたらした。

 

 この不死化したヘンリエッタ・ラックスの子宮頸癌細胞は、当時細胞の増殖を手掛けた医師ジョージ・ガイの研究室の慣習に則り、ドナーの姓名の頭文字をとってHeLa(ヒーラ)細胞と名付けられ、現在もその名で流通している。

 

 ヒーラ細胞が果たした科学的功績は多岐に渡り、その貢献度も並大抵ではない。

 

 ざっと挙げるだけでもポリオワクチンの開発、化学療法、クローン作製、遺伝子マッピング体外受精等々、枚挙にいとまがなく、本書の印刷時にあたる2009年時点でも、ヒーラ細胞に関する研究論文の数は60000編を超え、なおも毎月300編の割合で増え続けているというから、医学界における尋常ならざるプレゼンスがうかがえる。

 

 人類の医療水準ひいては科学水準を数段引き上げたといっても過言ではない貢献を果たしたヘンリエッタ・ラックスだが、培養され研究に供される5000万t超とも言われるヒーラ細胞の総量と世界中を覆いつくさんばかりに広がる分布とは不釣り合いに、ヘンリエッタ・ラックス個人の情報はほとんど世間に出回ることはなく、近年になるまで、その偉大な功績に何らかの名声や栄誉が与えられらる気配すらなかった。

 

 また、ヒーラ細胞の培養と供給は一大産業となり、多くの個人や企業が巨富を得たが、その大本を提供したヘンリエッタ・ラックスの遺族には一セントも還付されず、貧困と荒んだ家庭環境に呻吟している。

 

 皮肉にも、ヘンリエッタ・ラックスの遺族は数多くの健康上の問題を抱えているにもかかわらず、高額な医療費が賄えないばかりに、ヒーラ細胞無しには有り得なかった先進の医療技術の恩恵を十分に受けられない状況にある。

 

 だが何よりも家族を傷つけ動揺させたのは、ヒーラ細胞のドナーがヘンリエッタ・ラックスという一人の黒人女性であることを、遺族はおろか、当の研究者や医療の受益者である世間もまったく知らなかったことだった。

 

 遺族の預かり知らぬところでヒーラ細胞が培養され売買され世界中に配布され、研究者によってウィルスに感染させられたりすり潰されたりマウスの細胞と混ぜられたり核爆発に曝されたり宇宙に飛ばされたりして、その徹底的な濫用の成果によって大勢の人命が救われたというのに、誰一人としてヒーラ細胞のドナーであるヘンリエッタ・ラックスに感謝を捧げるどころか認知すらしていないのだ。

 

 ヘンリエッタ・ラックスが無名なまま、偉大な貢献と関連付けられず正当に評価されなかった要因は、広範な領域にまたがり複雑に入り組んで一概に整理できないが、一つには時代背景がある。

 

 ヘンリエッタ・ラックスの細胞が採取された時代は、患者のプライバシーやインフォームドコンセント、遺伝子情報や体組織の所有権やその大規模な商業利用といった概念は誰にとっても馴染みが薄く、患者から採取した血液や病変組織の取り扱いやその後の処分について、いちいち詳細を患者や家族に説明したり承諾を取り付けたりする法的義務はもちろん慣習も意識もなかった。

 

 患者の権利が神経質なまでに尊重され、医療従事者側がクレームや訴訟に怯え戦々恐々とする現代の医療事情からすると、本書で指摘される当時の医師の無神経さや無頓着さ、お粗末な道徳規範や傲慢なエリート意識は隔世の感がある。

 

 また、ヘンリエッタ・ラックスが黒人であり、当時全盛にあった人種差別の渦中にあったことも要因としては無視できない。

 

 事実、黒人は劣悪な医療環境に置かれた上に、軽々に消費できる人命として、数多くの非倫理的人体実験の犠牲になった。

 

  タスキギー梅毒実験はその最悪の例の一つで、梅毒の進行過程を研究するために、数百人もの梅毒患者の黒人がすでに有効性が証明されていたペニシリンの投薬などの治療を受けずに、1930年代から40年に渡り梅毒に冒されるがままに放置されたという。

 

 ヘンリエッタ・ラックスの一族も、こういった冷遇の被害に遭っている。

 

  ヘンリエッタ・ラックスの長女は知的障害があったとみられ、貧窮する家庭での在宅生活が限界を迎え、クラウンズヴィルの黒人専門の精神病院への入院を余儀なくされたが、そこでもタスキギー同様に黒人入院患者を対象とした危険な人体実験が実施されていた記録が残っており、夭折した彼女の長女の死に少なからぬ影響を与えた可能性が示唆される。

 

 ヒーラ細胞の特殊な性質と関係者たちの懸命な努力が医学を大きく発展させ多くの人命を救い、大幅な健康増進に寄与したのは紛れもない事実だが、一方で、若死したヘンリエッタ・ラックスが深く愛し真に守りたかった遺族は、ヒーラ細胞が無尽蔵に産出する莫大な利益から隔離され窮乏に喘ぎながら、未熟な医療倫理と自制を欠く市場原理に無神経にも傷つけられ捨て置かれるという、不憫な境遇から抜け出せずにいる。

 

 医者や研究者が病状や治療、あるいは功名心や知的探求心にかまけてなおざりにしているヘンリエッタ・ラックスの人間性に、筆者は深い共感と忍耐強いステップバイステップのアプローチで踏み込み、自身もヒーラ細胞にまつわる一筋縄ではいかない根深い問題に、ヘンリエッタ・ラックスの子孫を奨学基金でサポートする財団を創設するなど、当事者の一人として参画していく。

 

「医は仁術なり」という大江運澤の箴言が示すのは、仁、つまり人への思い遣りや慈しみを欠き、知識欲を満たす学究や功名心、利益追求に走った医術の危険性であり、ヘンリエッタ・ラックスと遺族は「仁術ならざる医」から実害を被った最たる例といえる。

 

 ヘンリエッタ・ラックスの人生の軌跡を彼女の家族と二人三脚で渾身を傾け掘り下げていく筆者の体当たりの取材と執筆を通じて、病み傷つき苦しむ一個の人間を治療する、包括的な医療の理想的な在り方、そのおぼろげな輪郭が浮かび上がり、希望の光がわずかに差し込む。

 

 文句なしの仁を備えた医術が確立し、世界中の誰もがその恩恵に与るのは遠い未来の話だろうが、ヘンリエッタ・ラックスの子宮頸癌細胞がその節目に立ち会うのは間違いなく、その輝かしい瞬間こそ、名声でも金銭でもない、彼女の強いられた不死に相応しい真の報いになるだろう。