ざっくり雑記

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見えないスポーツ図鑑

視覚障がい者に向けた視覚や言語表現に頼らないスポーツ観戦方法の模索をきっかけとした、個々のスポーツ特有の身体感覚や競技性の翻訳方法の研究の過程を追ったドキュメンタリー。

 

視覚障がい者がスポーツを観戦する方法として、現在主流なのは音声による解説である。

 

だがその方法だと、解説者の言語的表現能力や解説される側の読解力の程度によってスポーツ観戦の理解度が大きく左右されるし、解説者を介するという行程が必ず挟まれることで、情報の伝達がワンテンポ以上遅れ、臨場感が得にくくなるのはどうしても避けられず、結果としてスポーツ観戦本来の面白さが大きく損なわれてしまう。

 

そこで、スポーツの面白さを伝達するのに、視覚と言語による解説以外の翻訳方法を模索するというのが本書で取り扱う研究の発端である。

 

触覚やヒューマンインタフェースの研究者が、各界のスポーツに造詣の深い専門家を招いて、ブレインストーミング形式でスポーツの翻訳方法を検討していく様子が、まるでスポーツ観戦の実況のような形式で記述される。

 

企画の発端は視覚障がい者向けの翻訳方法の構築だったのだが、その具体的方法を模索する中で、各スポーツの本質の分析と抽出、そして再現方法の具体的手法が、視覚障がい者のスポーツ観戦の質の向上にとどまらず、全般的なスポーツ観戦そのものの質の向上や、スポーツ学習の効率化をもたらす、より広範な領域に展開する可能性が示唆され、研究の重要性がより大きなものとして捉えなおされる。

 

例えば、素人がサッカーの試合をただ見ているだけでは、せいぜいどっちのチームが優勢だとか、ゴールがいつ決まったかといった程度の情報しか読み取れないが、これがサッカー経験者やプロなど、実体験を通してサッカーを深く理解している観戦者になると、ボールの動きはもちろん、選手の重心移動や視界、ドリブルしている選手と抜かれまいとする選手同士の手に汗握る駆け引きや、蹴られたボールにかけられた回転、選手の健康状態、果ては時々刻々と変化する陣形の意味やチームの思惑、戦況の敏速で細かい変化など、ミクロからマクロの視点、あるいは主観から客観の視点を自在に行き来し、時にそれら多彩な視点を総合したより高次の情報空間で試合を捉え分析することで、素人が及びもつかない高い密度の面白みを味わっていることになる。

 

特に、ボールを持った時に相手選手を抜く際の重心移動や、ボールに回転をかける独特な感触などは、実際に経験してみないと、観察や言語表現だけを通じて理解するのは難しく、それはスポーツ観戦のみならず、スポーツ学習における、熟練者の高度な技術を未熟者に伝達する際にも同様で、スポーツにおける情報伝達の障壁の一つになっている。

 

本書では、そういったスポーツの個人的で主観的な感覚を簡単、忠実に仮想体験できる形式に翻訳した具体的な方法を、固定観念にとらわれない柔軟な発想で編み出そうと、泥臭い試行錯誤が繰り返される。

 

その成果として翻訳された各スポーツの本質、特にそのスポーツが人を惹きつける醍醐味にあたる部分を仮想体験する方法は、どれも一見すると元のスポーツとはかけ離れた、一種異様で独創的な動作に行きついている。

 

サッカーの翻訳の例では、研究参加者の四人が二人ずつのチームに分かれ、片足立ちでタオルと棒の両端を持ち合い、それらの道具を介して押し合いへし合いすることで相互に相手の体勢を崩して優位に立とうとしながら、互いの足の先につけた紙風船を踏み潰すことで勝敗を決するという、はた目にはそれがサッカーを表現しているとは到底思えない、まったく別種の遊びに興じているような協働作業になっている。

 

だが、このなんだかわからない動きこそが、ドリブルで抜こうとする選手と、抜かれまいとする選手が対峙するサッカーの試合の中でも頻繁に生じる見どころの本質を抜粋しており、互いに動きを先読みし、相手を出し抜こうとする心理的駆け引きと、サッカー特有の重心移動、そしてそれを利用したフェイントによって相手をコントロールするやり取りの、複合して分かちがたい、サッカー特有の感覚を本物に近い感触で疑似体感するのに適化された動きなのだ。

 

この研究の意義は、スポーツを構成する無数の要素のうち、視覚に強く依存する人間が注目しがちな外見ではなく、体を動かすというスポーツにおいて本来最も重要な、微妙な身体感覚や、競技特有のルールに基づく駆け引きのような心理的挙動や戦略といった不可視且つ非言語的な要素を掬い上げて分析し、それぞれの次元におけるコミュニケーション手法を、その要素の本質を損ねることなく、粗削りながらも具体的な成果物として試作した点にある。

 

身体を用いる技術の伝達手段は、「百聞は一見に如かず」の原則にのっとる観察や、口頭や文章による間接的な伝達形式が主であり、「手取り足取り」といった身体の接触を介した形式もあるものの、それとてその技術の時空間的パラメータを追体験するのが限界で、主観的感覚そのものをダイレクトに伝えるには不十分である。

 

しかし、本書で取り組まれた、「身体感覚の翻訳」という分野が発展し体系化されれば、スポーツだけでなく、身体が関わる様々な分野の技術の情報伝達が飛躍的に円滑になり、それは別の次元でのIT(情報技術)革命を人類にもたらすかもしれない。

 

スポーツもののマンガによくある展開で、一見、そのスポーツとは全く関係のなさそうな奇妙な練習方法が、実は非常に理にかなっており、パフォーマンスを劇的に向上させるというストーリーがあるが、本書はそのマンガ的展開をありふれたスポーツ界の風景にしてしまう、草分けの一冊になるかもしれない。