ざっくり雑記

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キキ 裸の回想

 本書は、1920年代のパリ、モンパルナスの芸術家共同体において絶大な人気を誇ったモデル、キキの、当時話題を呼んだ回想録とそれに対する寄稿、晩年の新聞インタヴュー記事をまとめ、彼女をモデルとしたエコール・ド・パリを代表する芸術家たちの数々の作品を添えた、キキという稀代の魅力を具備する女性の人物像をつまびらかにする一冊となっている。

 

彼女の恋人にして写真家だったマン・レイの撮ったヌード写真が大半を占め、本書のタイトルにも「裸の」と銘打たれているように、「裸」というのは、彼女の実体を象徴するのに内面的にも外面的にも的確なキーワードになっている。

 

彼女はあけすけで気取らない底抜けに明るく社交的な人間で、自分の本性を虚飾で覆い隠さず常に自然体であり、麻薬と酒に溺れて身を持ち崩す晩年にあっても、本質的に天真爛漫であり続けた。

 

彼女の容姿の美しさは、造形の均整だけに由来するものではなく、虚飾の手垢のついていない純粋な天然状態に依るところも大きい。

 

それは人造の対極であり、自らの心身のデザインが自己や他者との相互作用という人為によって絶えず更新され続ける宿命から逃れられない人間にはおよそ不可能な境地なのだが、彼女はその不可能を体現した稀有の存在だった。

 

ただ、天然状態であるだけでは美にうるさい名だたる芸術家たちの寵愛を一身に集められはしなかったに違いない。

 

そこには彼女の人柄が醸し出す本質的な魅力があった。

 

彼女を特別たらしめているのは、その本質的な魅力と、その魅力を粉飾せずに純粋なまま発揮できる自然な態度の併存だ。

 

これは天が二物を与えたという意味ではなく、常人なら余計な手を加えてスポイルしてしまいそうな、天が与えた一物の価値を、彼女は全く損ねずに活かしきったという意味だ。

 

並外れて鋭い感性を持つ芸術家という人種が、こらえがたき究極の美への情熱に駆られ、たゆまぬ技巧の研鑽と狂わんばかりに突き詰めた洞察の末にようやっと辿り着く、モデルやモチーフの深奥に秘された美の核心を、キキはなんの気無しに惜しげもなく赤裸々にさらけ出しモンパルナスの街角を朝な夕なに愛想を振りまきながら闊歩していたのだから、あまねく芸術家たちが魅了され称賛を惜しまなかったのも無理はない。

 

かの文豪、アーネスト・ヘミングウェイが英語版の回想録に寄せた、読んでいるこちらがこそばゆくなるような、彼女を手放しで激賞する序文から、当時の芸術家たちがどれほど彼女に入れ込んでいたか、その熱狂の一端がありありとうかがえる。

 

芸術界の押しも押されぬ有識者が太鼓判を押す、類稀な内外面の美を兼ね備えた人間の格好の具体例について、多面的な視点から記された貴重な文献である。

 

ここまで人心を乱したお墨付きの傾城の美女に、ほんの数十年の時間差で会う機会が得られなかったのが残念でならない。

 

握手会とかあったら、握手券付きの本書を10冊は買っても惜しくはなかった。