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子供向けだが子供だましではない……ドラマ『仮面ライダービルド』


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概要

火星探索から地球に持ち帰られた謎の遺物・パンドラボックスが引き起こした災厄によって、北都・東都・西都の三つの地域に分断され、10年が経過した日本。

 

その一つ、東都では、スマッシュと呼ばれる怪人が人々を襲う事件が勃発。

 

記憶喪失の天才物理学者、桐生戦兎(犬飼貴丈)は、東都の平和を守るため、仮面ライダービルドに変身して怪人たちと戦う。

 

子供向けだが子供だましではない

特撮ドラマを観たのは久しぶりだが、最近の作品のクオリティには驚かされる。

 

ストーリー、ビジュアル、アクション。

 

どこをつまんでも瞠目に値する。

 

子供向けだが子供だましではない。

 

大人の鑑賞に堪えうる、というと語弊があるが、少なくとも、主なターゲットが情緒が未熟で人生経験に乏しい子供だから、多少手を抜いてもばれやしないだろう、といった軽侮に由来する横着、明らかな手抜き、労力の出し惜しみに類する、目障りな粗は皆無だった。

 

むしろ、子供向けだからこそ、余計な虚飾を排した、率直で誤解の余地のない、普遍的な真理に基づく骨太の設定と物語が展開され、確固とした土台に据えられた揺るぎない安心感がある。

 

コンテンツが氾濫する現代社会においては、生まれた直後から夥しいコンテンツに晒される子供たちは、若年にして既に相当に目の肥えた視聴者として練成しており、ありきたりで安っぽい、つまりは従来の子供だましなどが通用するような生易しい相手ではなくなっている。

 

そのような状況下では、物語の作り手側に相当のプレッシャーがかかるのは想像に難くない。

 

一方で、視聴者の目が厳しくなればこそ、過酷な生存競争を経て、コンテンツの質も否応なく進化していく。

 

記憶の中の特撮ドラマと比べれば、その品質の差は歴然で、隔世の感がぬぐえない。

 

子供向け番組のセオリーを逆手にとった展開で主人公の精神的成長をドラマチックに演出する意外な展開には、むしろ王道の特撮ドラマの展開が刷り込まれた大人だからこそ、見事に引っ掛かり、度肝を抜かれた。

 

怪人も、単純な悪党ではなく、事件に巻き込まれた不幸な犠牲者であったり、腹の据わった理念に殉じる戦士であったりとバリエーション豊かで、それぞれの事情を汲み取ったデリケートな対応を余儀なくされる物語の重要な要素として、仮面ライダーが華麗なアクションを披露するための引き立て役に収まらない、大きな存在感を放つ。

 

物語が進むにつれて、シンプルな敵対構造が複雑に入り組んだ利害関係へと発展し、謎に包まれた主人公の正体が明らかになるにつれて、登場人物それぞれの立場の複雑な交錯は緊密さを増し、緊張をはらみながらも破綻をきたすことなく、溜めに溜め込んだエネルギーは余すところなく最終回で解放され、比類ないカタルシスを視聴者にもたらす。

 

物語序盤の、若い役者たちの粗削りで大げさな空回り気味の演技も、話が進むにつれてこなれてきて、やがて役との同調は憑依と呼んで差し支えない次元に到達する。

 

役との完全な同期のみが成し得る生々しい感情が迸る気合の入った演技には、理屈抜きで引き込まれた。

 

敵役が産み出した正義の味方というテーマは、初代仮面ライダーから連綿と受け継がれる由緒正しいテーマだが、同じテーマでも、演出の仕方や設定の工夫によって、まったく違う装いを見せる。

 

特に今作では、仮面ライダーが、ラスボスの最終目的達成のための駒であり、ほとんど最終回の間際まで、ラスボスのシナリオ通りに踊らされるという、やることなすこと全てに意味を見失いそうな絶望的な展開となっており、正義と悪の混乱具合は類を見ない。

 

それでも、自らの正義への信念を、少しずつ、しかし着実に育て、最後の最後に手ごわい悪の野望を辛くも凌ぐまでに強靭に仕立て上げた、主人公たちの苦悩の変遷には心を揺り動かされる。

 

エグい

そんな善と悪の相克を濃密な人間ドラマで体現する物語としての仮面ライダーには、もう一つの面がある。

 

むしろ、そっちの面の方がメインなのではないか。

 

それは、スポンサーであるおもちゃ会社の販促番組としての一面だ。

 

民放の番組である限り、子供向け番組であろうと、スポンサーの営利活動を宣伝するという構造的宿命からは逃れられない。

 

朝のニュース番組が、これから出勤する労働者向けに、カフェインたっぷりのコーヒーの宣伝を流すように、日曜朝の仮面ライダーは、全国の子供たち向けに、おもちゃを買ってもらうために様々な商品の宣伝を流す。

 

というより、番組そのものが、超長編のCMそのものなのだ。

 

おもちゃというものは、実際の道具の劣化コピーである。

 

特に、仮面ライダーのような、非現実の創作のおもちゃは、そもそも現実に存在しない道具の模倣品であり、どうあがいても劣化コピーにならざるを得ない。

 

非現実の創作に及ばないギャップは、使用者の想像力で埋めるしかないのだが、創作に基づくおもちゃは、現実に基づくおもちゃと比べると、その度合いが大きい。

 

子供たちの想像力というものは時に大人の常識をはるかに凌駕する驚異的な飛躍を見せる一方で、経験不足からくる情報の絶対量の少なさによるレパートリーの狭さやディテールの粗さ、考察の浅さもついて回る。

 

仮に、仮面ライダーの変身ベルトを、子供たちに何の前情報も無く与えたとしたら、面白いギミックや奇妙な音の出る珍妙な機械としてそれなりに楽しむだろうが、そのデザインの基盤を成す奥深く広大な世界観が醸し出す本来の魅力を存分に満喫するのはまず無理だろう。

 

だが、特撮ドラマの仮面ライダーを観た後では、その珍妙な機械は、無類のパワーと精悍なビジュアルを兼ね備えた悪と戦うヒーローへの変身を叶える魔法のベルトとして、子供たちの目には何よりも魅力的な、文字通り夢のアイテムに映る。

 

その情報量が多ければ多いほど、そしてディテールが精密で質が良いほど、素晴らしい創作の世界へ子供たちを誘う入り口となるおもちゃの価値も比例して跳ね上がる。

 

コンテンツの価値が、おもちゃの価値を直接左右する。

 

宣伝そのものの質が、商品の質に反映されるビジネスモデルなのだ。

 

週1回30分、一年間で49話に及ぶ膨大な時間を使って子供たちの頭の中に物語世界を刷り込む手間暇をかけるからこそ、仮面ライダーのベルトには、想像を絶する価値が付与される。

 

その価値がある臨界を超えたとき、はじめて子供たち(の親御さんたち)の購買につながるのだが、現在の少子化は、日本の将来はもとより、おもちゃ業界にとっては殊更厳しい逆風となっている。

 

いくら魅力的な商品であっても、一個買えば十分なおもちゃの売り上げは、消費者の頭数に、つまり子供の人口に依存する。

 

利益を出すためには販売数を稼ぐことが重要だが、おもちゃ販売のメインターゲットである子供の絶対数が減り行く少子化が進行する日本では、販売数を稼ぐ難易度は、年々上がる一方だ。

 

それでも売り上げを確保するには、客単価を上げねばならない。

 

客単価を上げるには、商品単体の利益率を上げる(高額商品を買ってもらう)か、利益率は上げず、バリエーションを増やして薄利多売によって利益の総量を増やす(安価な商品をたくさん買ってもらう)という販売戦略がある。

 

とはいえ、子供向けの商品、それも娯楽用品である実用性のないおもちゃに、高い価格は設定しにくい。

 

基本的に子供には資金力がなく、出資元はその親や親しい人間に限られている。

 

子供の養育にはただでさえ多額の費用がかかるのに、実用性のないおもちゃに高額の費用を回す余裕のある親御さんは、それほど多くないだろう。

 

そうなると、先述した販売戦略に基づけば、後者の薄利多売戦略が基本となる。

 

もちろん、「大きいお友達」と揶揄されることもしばしばな、潤沢な資金力を持つ成人消費者に向けた、おもちゃとしては並外れたクオリティの高額商品を販売する戦略も一つの選択肢にはなるが、薄利多売戦略は「大きいお友達」もターゲットとして包含できるので、外れが少ない。

 

私が以前観た特撮ドラマは、平成仮面ライダーとのちに総称されるリブートシリーズの第一作目、仮面ライダークウガだったが、この薄利多売戦略と相性のいいライダーの設定として、フォームチェンジという変身ギミックが採用されていた。

 

これは、様々な能力(テクニカルな棒術、遠距離攻撃可能なボウガン、力技で攻め立てる剣技)に特化したフォームに変身するというもので、ビジュアルとしては、基本フォームと造形は同じだが、体色と手持ち武器が変わるというものだ。

 

世界観的には全くの別物でありながら、造形上は同じ型を使いまわして色違いにカラーリングして、小物で更に差別化を図ることで、安価にバリエーションを水増しできるという、予算を節約しつつ、おもちゃの展開の幅を広げるという、一石二鳥の手法となっている。

 

その末裔である仮面ライダービルドでも、その基本戦略を踏襲しているのだが、長い年月を経て、その手法は空恐ろしいほどの進化を遂げていた。

 

というか、正直、エグい。

 

ちょっと引いた。

 

仮面ライダーの造形は流用しつつ、細かい造形をマイナーチェンジしたり色を変更したりすることでバリエーションを増やすという戦略の基本構造は同じなのだが、その数が尋常ではない。

 

本作では、様々な性状(ウサギや戦車、海賊や電車などなど)を持つ不思議な粉末やジェルを詰めたボトルをベルトにセットすることで、そのボトルの性状に応じた力を発揮する多彩な風貌の仮面ライダーに変身するという変身システムなのだが、物語中盤で明かされるそのボトルの総数がエグい。

 

何と60本である。

 

この数を聞いた瞬間、誇張抜きでずっこけそうになった。

 

先述したが、本作は一年間にわたるシリーズで、それなりに長く、正確には全49話となっている。

 

つまり、一話で一個のボトルを使ったとしても、10話ほど足りない計算になる。

 

その時間的な制約を乗り越えるブレイクスルーとして、本作の主役であるビルドは、キカイダーや阿修羅男爵のように、左右の半身の色が違うツートンカラーのデザインとなっており、一度に二つのボトルの性質を融合させて、一つの姿に搭載できるという設定になっている。

 

それでも一話につき0.6本以上のボトルを使わなければ間に合わない。

 

というか、実際に間に合わなかった。

 

設定上存在してはいても、遂に変身には用いられなかったボトルもある。

 

いくらなんでも、60種類の半身を用意することは、変身スーツの時間的・経済的コスト上でも、物語の展開上でも端から諦めていたのだろう。

 

変身のバリエーションだけでなく、そこに強化フォームも加わるのだから、バリエーションはさらに増える。

 

映画などのスピンオフを足しても、全部を使い切るには何もかもが足りない。

 

それでも、おもちゃとしてはちゃんと60(+α)種類のボトルが用意されている。

 

これを観たときの子供の歓喜と、親御さんの暗澹たる気持ちを思いやると胸が痛む。

 

薄利多売戦略しか有効な戦略が残されていないとはいえ、60種類(+α)という、一年がかりの番組ですらフォローしきれない商品展開など、いくらなんでもやり過ぎだ。

 

せめて番組内で最低一度くらいは見せ場を作れる程度の数に抑えてくれていればまだ納得もできるが、一年間もの放映期間を用いてすら、満足に消化しきれない分量の商品展開の規模は、正気はともかくとして良識を疑わざるを得ない。

 

60種類ものおもちゃをねだられることになる親御さんたちからすれば、悪夢としか言いようがない。

 

経済状態やしつけを理由に購入を見送るにしても、子供には不満が残るだろうし、親御さんとしても言下に購入を拒否するのは後ろめたいだろう。

 

家庭内に要らぬ不和の種をばら撒きかねない度を越した商業主義を、番組内でついぞ使用されることのなかったボトルたちがもの悲しくも体現している。

 

一方で、趣味に資産を自由に投入できる「大きなお友達」からすれば、コレクター魂を刺激される魅力的でコンプリートし甲斐のあるボリューム感となるだろうか。

 

コンプリートにいくら必要になるのか、想像するだに恐ろしいが。

 

厳しい販売環境でも利益を確保するためとはいえ、物語の容量を超過する膨大な商品ラインナップは、何か間違っている気がする。

 

他のシリーズ作品を観ていないので何とも言えないが、このビジネスモデル、つまり商品ラインナップを物語の容量以上に拡大するという路線はもはや常態化しているのだろうか。

 

だとしたら、おもちゃ業界の状況というのは思ったより悪いのかもしれない。

 

いくら視聴率至上主義、売り上げ至上主義の民放の作品とはいえ、メイン視聴者として子供を想定している番組なのだから、道徳観や情操の育成にも気を配るべきだろう。

 

誤解の無いように明記しておくと、本作の物語は、子供たちの道徳観や情操の育成には十分に配慮されているように思える。

 

最終的に理不尽で身勝手な悪の暴力に、暴力で対抗して問題を解決するという点はいかんともしがたいが、それまでの意思決定の過程や様々なトラブルとの遭遇で、正義と悪の線引きをはっきりし、主人公たちの正義の立場を明確に打ち出し、子供たちが憧れて真似しても差し支えのない価値観を事あるごとにアピールしてくれている。

 

だが、物語の内容が良くても、その周辺の実情が内容と相反するようでは、子供たちは混乱してしまう。

 

愛と友情を訴えかける番組に感化されて、そんな変身ヒーローになりたいと憧れておもちゃを親御さんにねだるという一連の自然な流れが、一部のご家庭には受け入れがたい経済的・精神的負担を掛け、ある種の緊迫状態を招くとなると、子供たちが番組から受け取るメッセージとその結果に不和が発生し、子供たちの情操はもちろん、親御さんたちの気分にも悪影響を及ぼしかねない。

 

とはいえ、おもちゃが先か、物語が先なのかは不明だが、膨大なおもちゃのラインナップをなるべく自然な形で物語に組み込もうとする脚本の凄まじい努力は、手放しで褒め称えたい。

 

下手をしたら秒単位で目まぐるしくフォームチェンジする仮面ライダーの慌ただしい様子に、商業主義に鼻をくくられ振り回される関係者一同の姿を重ね見てしまった。

 

奇跡の大団円

そういった物語内外の諸々の事情を全て呑み込み、破綻せずに最後まで走り切ったクライマックスには、万感の思いがこみ上がる。

 

宇宙規模の破滅を目論む強大な敵の野望を、その野望の歯車の一つとして操り人形同然に運命を翻弄されるがままになっていた主人公たちが、それでも正義の信念を貫いて想定外の奇跡を幾つも起こし、尊い犠牲を払いつつ、遂に悪の野望を打ち破るという、胸に迫る熱い展開もさることながら、何十種類ものおもちゃのラインナップを物語に自然な形で組み込み感動を盛り上げる要素として完全に融合させるという秀逸な脚本もまた、メタ的な意味での奇跡であり、いくつもの奇跡から成る本作は、紛れもない名作ドラマだ。

 

正真正銘、奇跡の大団円と言って過言ではない。

 

軽い気持ちで見始めた子供向け番組に、色々な意味でここまで強く心揺さぶられるとは思いもよらなかった。

 

他のシリーズ作品も見てみたいところではあるが、これ以上心揺さぶられてまともな精神状態を保っていられるのか不安でもあり、もうおなか一杯の感もある。

 

願わくば、子供たちと番組を同時視聴している親御さんたちの心胆を寒からしめるような、「ボトルは全部で60本!」などというセリフを登場人物に言わせるような、違う意味で驚愕の展開は勘弁してもらいたい。