ざっくり雑記

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アウシュヴィツの聖者コルベ神父

信仰の道を徹底し、アウシュヴィツの絶滅収容所という近代の地獄においても自己犠牲を以て信仰を貫いたマキシミリアン・コルベ神父の伝記。

 

堅固な信仰と、卓越した実務能力の持ち主であったらしく、結核を患い生涯病弱であったにも関わらず、精力的な布教活動に携わり、その足跡は、ポーランドから海を隔てたこの日本にまで及んでいる。

 

神父は出版物による布教活動が効率的と考え、持ち前の工業と組織の才覚を遺憾なく発揮し、最終的には年に数十万部もの刊行物を発行する印刷所を運営するまでに至る。

 

どうやら奥付を見るところ、本書も日本への布教活動の折に立ち上げられた組織が発行しているようで、その強い影響力が現代にまで連綿と引き継がれなおも意気軒昂である証左といえる。

 

折しも第二次世界大戦ポーランドにおいて、ドイツに連行された神父は最終的に、悪名高きアウシュヴィツの絶滅収容所に行き着く。

 

アウシュヴィツでは毎日のように大勢の徒刑囚が虐殺されていたが、その処刑の中でも囚人に最も恐れられたのが餓死刑という処刑方法だった。

 

これは読んで字のごとく、飲食物を一切与えられず、衛生状態も換気も最悪の地下牢に死ぬまで監禁されるという処刑方法で、銃殺刑になら喜んで身を投げ出す死をも恐れぬ固い信仰の持ち主でも及び腰になる、恐ろしい苦悶を伴う処刑方法であったようだ。

 

ある日、コルベ神父が所属する監房から脱走者が出て、収容所の規則により、連帯責任で同じ監房から十名の餓死刑者が選出されることになったが、コルベ神父は選出された餓死刑者のうちの一人の身代わりを申し出、地下牢にて餓死する結末を迎える。

 

この自己犠牲的所業は、残虐を以て知られる収容所所長や所員一同にも何か思わせるところがあったらしく、著者が収容所の生存者から聴取した話によると、コルベ神父の死を前後にして、明らかに虐待の程度や処刑のペースが緩和したという。

 

本書の著者がコルベ神父の熱烈なシンパであり、発行元のルーツがコルベ神父の肝煎りである以上、いくら冷静沈着な客観視を担保する文言が口酸っぱく差し挟まれようと、実態から遊離した美々しい伝説化に陥る述作上の偏向は免れないが、とはいえ、時にマゾヒズムと混同されかねないほど保身を度外視した死をもいとわぬ極端な自己犠牲の精神が奨励されるキリスト教においても、アウシュヴィツの収容所の地獄然とした苦境における毅然とした振る舞いによって証明されたコルベ神父の信仰の篤さ、そしてその海をまたぐ広大な影響範囲と、成し遂げた出版事業の規模が、特筆に値する水準にあるのは間違いない。

 

無宗教の不可知論者の立場からすると、その盲信を深く理解し素直な共感を抱くのは難しいが、全身全霊を捧げる宗教的信念と実効性のある行動力を備えた人間がどれほどの業績を達成しうるか、その一例の記録として興味深い一冊。