ざっくり雑記

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井沢元彦の学校では教えてくれない日本史の授業

日本史に関する著者の講演をまとめた一冊。

 

著者が主張する日本史学界を蝕む欠陥――「通史観の欠如」「史料至上主義の弊害」「怨霊信仰・言霊信仰の等閑視」――について、それぞれが悪影響を及ぼしている象徴的な歴史上の出来事を題材に解説し、その是正の必要性を訴える。

 

「逆説の日本史」シリーズ一冊目と重複するテーマもあるが、日本史学界の定説を覆す逆説的持論を、シリーズ一冊目刊行から10年以上も堅持し続け、出版や講演を通じて精力的な啓蒙に努める著者の根気と自説に対する確信、そして行間の端々から憤りを伴って伝わってくる、整合性のない断片化した歴史観を放置するだけでなく、若人たちに植え付けている日本史学界の体たらくを是正しようという使命感には素直な感嘆を覚える。

 

定命の人間が無限に等しいデータを取り扱う学究に取り組みその途方もない広漠から一定の真理の果実を収穫しようとすれば、苦肉の方策として、手の回らぬ豊饒を切り捨て把握できる些末に生涯を賭す専門化の道へ踏み込むもやむを得ない。

 

限定領域への労力の集中によって数々の輝かしい学問上の業績が成し遂げられ、その累積が着々と学問を生育し社会を豊かにしてきたのは紛れもない事実であり賞賛すべき功績だが、それは大量の小さな宝石が無秩序に降り積もっただけの絢爛な砂山のようなもので、そのままでは成長は遅々とし非効率で、埋もれた宝石の輝きは誰の目にも届かず、内包する価値が十分に生かされているとは言い難い。

 

日本史学界はこの宝石の砂山のようなものだろうか。

 

歴史はその始源から現在まで途切れなく隙間なく継続する完全無欠の連続体であり、これを宝石の砂山のたとえに当てはめると、宝石の一つ一つが収まるべき個所の決まったパズルのピースに当たり、適切に配置すれば美しく正確な歴史の絵図が浮かび上がるのは自明だが、日本史学界にはピースの採掘者は多くても、大所高所から全体像を眺め、適切な配置を指揮する者が圧倒的に少ないようだ。

 

さらにこの宝石の砂山にはまがい物のガラス玉や価値のない石クズも混入しており、そのふるい分けの作業も様々なしがらみに絡みつかれて一向に進んでいない。

 

歴史学に大して思い入れのない門外漢の自分でも、本書の著者が取り組んでいる事業の前途多難が容易に想像できる。

 

それはさておき本書は、気軽に歴史の醍醐味を味わえる「逆説の日本史」シリーズの傑作選的読み方もできる一冊となっており、重複した内容について改めて読み直しても十分に楽しめた。