ざっくり雑記

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本『理不尽な国ニッポン』

どんな本?

現代日本を専門とするフランス人歴史家が、フランス人向けに現代日本を解説する日本人論の邦訳。

 

歴史学の豊かな学識に基づく理論的分析と、延べ20年以上日本に在住する著者の鋭敏な洞察力に裏打ちされたフィールドワークの精華が見事に融和した、読み応えのあるエッセイ。

 

客観と主観の絶妙な均衡が、日本人の捉えどころのない実像の核心を明瞭に浮き彫り、その将来の展望まで見通す秀逸な解説と考察を成し、日本人から見ても説得力のある日本人論として膝を打つ記述も数多い。

 

感想

ある国家の構造と国民の性質を分析する方法は数多あるが、本書は主に著者の出身国であるフランスとの比較で分析を試みる。

 

「理不尽な~」という表題が示すように、著者をはじめとした合理性を重んじるフランス人からすると、日本という国と日本人という人種は不条理だらけの理解しがたい存在だ。

 

にもかかわらず、それなりにまとまり整然とした社会として成立しているのは「理不尽」に映る。

 

フランスは、より良い幸福な社会の実現には、社会の構成要素である個人の権利の尊重が重要であると考える。

 

合理的思考に依れば、それは筋の通った帰結だが、実際の生活に適用すると、途端に軋みが生じる場合も少なくない。

 

例えば、個人の権利として信教の自由を尊重すれば、教義にそぐわない生活形態との不適応や、他の思想集団との対立は待ったなしである。

 

それは、数千年に渡る宗教戦争の歴史が如実に証明している。

 

夏目漱石の「草枕」冒頭の名句、「智に働けば角が立つ」の実例が、フランスでは日常の風景として、街角のあちこちやTVの討論番組、新聞の社説、SNSのコミュニティで日々繰り広げられている。

 

一方日本はといえば、個人の権利は様々な慣習や制度によって強力に抑圧されており、フランス人が理想とする幸福からほど遠い状態にあるにも関わらず、社会としてはよっぽど安定した調和を保ち、強固に団結している。

 

一言で言ってしまえば、それはしばしば国内外から問題視される同調圧力の賜物なのだが、著者が日本での生活で遭遇した同調圧力の具体的な実例は、非常に巧妙で、執拗で、緊密で、徹底し、容赦がなく、何よりも空気のようにありふれており、日本人として日本に生まれたが最後、決して逃れられない代物だ。

 

政治やメディアといったパブリックで目につきやすいプロパガンダが及ぼす同調圧力について分析する論客は多いが、20年日本に在住し、日本の生活にどっぷりつかった著者の分析は微に入り細を穿ち、浅瀬で遊ぶだけの安易な分析とは一線を画す。

 

TVについての分析だけでも、「ピタゴラスイッチ」の家族描写にジェンダーを、「ザ!鉄腕!DASH!!」の開拓描写に懐古礼賛を、「ローカル路線バス乗り継ぎの旅」の地方巡りに田舎信仰を読み取る。

 

日本人からすれば、重箱の隅をつつき疑心暗鬼に囚われたような著者の指摘は大げさすぎるきらいがあるが、それこそが同調圧力の成功を物語っている。

 

完成した同調圧力とは、自覚不能の洗脳に他ならない。

 

日本人にとって「普通」の日常が、フランス人という異文化圏の耳目には恐ろしく手の込んだ洗脳装置の集合として感じられる。

 

日本人にとっての「普通」が、フランス人が尊重する個人の権利を絶え間なく攻撃し、画一の価値観に従順な「日本人」へと彫琢する「異常」となっているのだ。

 

隅々までいきわたった同調圧力の功績は先に述べた国家の一体感を下敷きにした安定や調和であり、著者はその平和な国風を評価しているが、その弊害についても豊富な論拠を引用し遠慮仮借なく指摘する。

 

数千年前から変わらない家父長制を理想とする家族像は女性の社会進出を阻害し、単一民族国家という幻想は少子化移民問題への柔軟な対応を鈍化させ、高度経済成長の原動力とされる日本式経営への過信はグローバル経済における競争力の涵養を怠らせた。

 

日本人が日本人について無知なのは、人間が自分の体の構造や生理について無知なのと似ている。

 

理解しなくても問題なく機能しているならわざわざ知る必要はないし、なんなら誤解していたっていい。

 

だが、いざ問題が起これば、無知の代償は高くつく。

 

部外者である著者の目線は、顕微鏡を兼ねたX線造影機のように、日本の構造と日本人の性質をつぶさに透かし見る。

 

日本人である我々は、その透視像から自覚できなかった己の実像を知り、これからの百戦を戦い抜く戦略立案の貴重な手掛かりを得る。

 

さらにその透視像は、透視者の鏡像でもある。

 

著者は我々日本人を分析するために、比較対象となったフランス人をも同様の方法論で分析しており、本書は日本人論でありながら、同時にフランス人論でもあるという、一石二鳥のお得な内容となっている。

 

終わりに

菊と刀」のような優れた日本人論もあるが、異文化圏の人々による日本文化の分析や理解は、どれほど出来が良くても、日本人からするとどうしても違和感が残る。

 

だが本書の著者は、日本人と結婚したフランス人で、延べ20年にわたり日本に在住し、日本社会に溶け込んできた歴史家という世にも珍しい人物である。

 

内と外から日本という国を満喫した著者の他に、これほど的確に現代日本の実像をとらえ、かつ読み応えのあるエッセイとして物す人材はほとんどいないのではないか。

 

厳格に区分けされた両論併記というよりは、混沌をそのまま落とし込んだ両義的な文体は、どことなく東洋的、あるいは(いささかステロタイプな)日本人的態度を彷彿とし、著者のアイデンティティに日本的な何かが混和している印象を受ける。

 

「理不尽な国」と困惑を表しつつ、行間紙背から著者の日本への親しみも漂う著作となっており、何やかやと耳の痛い批判が次から次に羅列されても、読んでいて決定的な反感や不快感を催しはしなかった。

 

日本の将来の展望を語る巻末の文面からは、他人事に対する学術的分析の冷徹さではなく、日本社会を親身になって憂う温かみと将来への期待があり、その秀逸な論理展開も相まってするりと喉を通る。

 

本来日本人向けに書かれた本ではないにもかかわらず、日本人が現代日本の実像を把握するうえで非常に有用な一冊である。