ざっくり雑記

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囚われし者たちの国

世界各地の刑務所の現地調査を通じて明らかになってきた制度の実態から、犯罪者と向き合う社会の在りようを問い直すドキュメンタリー。

 

各国の刑務所を訪問してその実態に迫る著者は、大学教育を通じた犯罪者の社会復帰を支援するプログラムを運営する英文学の大学教授。

 

刑期を終えた犯罪者は、刑務所から出所後、善良な一市民として社会復帰するのが理想的な展開だが、実情は出所後再び罪を犯し、刑務所に逆戻りする者が多い。

 

犯罪者を更生し、犯罪を抑制する刑務所が、皮肉にも犯罪者を再生産する工場と化している現状に疑念を抱いた著者は、世界各国の刑務所を渡り歩き、時に文学や演劇のワークショップを開いて現地の囚人たちと交流しながら、現代の刑務所制度の成り立ちや問題点、先進的な取り組みや表ざたになりにくい囚人たちの実像をつぶさに解明し、今後の展望を模索する。

 

著者の調査により、近代のアメリカに代表される一般的な刑務所は、見た目通りの単純な懲罰と更生の機関ではないことが徐々に明らかになってくる。

 

それは、人権意識の高まりに伴い、人種差別政策や奴隷制度の撤廃が進展してきた後にも、根強く残る差別意識と、どん欲に安価な労働力を求める資本主義社会のニーズを同時に満たす、人種隔離と奴隷確保の機関という、法と秩序にカモフラージュされたおぞましい社会の暗部としての一面である。

 

アメリカの刑務所の囚人には明らかな人種の偏りがあり、また出所後も元犯罪者という経歴が大きく邪魔をして安定した職に就けず、就けたとしても、社会の最底辺の労働力として不当に安い賃金でこき使われるケースが多く、結果、生活に困窮する元囚人が再び犯罪に走る再犯率は高止まりしている状態にある。

 

皮肉にも、犯罪を抑止し、犯罪者を更生して善良な一市民として社会復帰させる刑務所制度が、再犯率の高い社会不適合者を世に送り出す犯罪者のリサイクル工場と化してしまっている。

 

このように実績のないアメリカ型の懲罰と隔離を主眼に置いた刑務所制度だが、それを社会秩序を維持する上で都合良く捉え、積極的に模倣し取り入れている国も少なくなく、そういった刑務所を訪問した著者は、過酷な境遇に長期に渡り置かれ精神を荒廃させている囚人の非人間的扱いと悲痛極まる心情の吐露に心を痛める。

 

だが、暗澹とした雰囲気から始まった本書の流れは、徐々に明るい方向へ向かう。

 

アメリカ型に代表される従来の刑務所制度へのアンチテーゼとして、犯罪者の更生と社会復帰を支援するという基本に立ち返った先進的な刑務所制度の構築に取り組んでいる土地を訪れた著者は、そこで困難ながらも着実に実績を上げている事業を目の当たりにし、希望を抱く。

 

オーストラリアの民営刑務所やノルウェーの開放型刑務所などにおける一般市民とほとんど変わらず市井で仕事やレクリエーションに取り組む囚人の生活風景は、囚人を独房に監禁し人間らしい生活をはく奪するアメリカ型の刑務所がオーソドックスな刑務所観として念頭に染みついている日本人の目には、罪人を不当に厚遇し、大勢の危険人物を野放しにして市民を危険にさらす常軌を逸した狂気の沙汰に映る。

 

だが、囚人たちは犯罪者である前に人間であるのだと、司法制度の陰に隠れてしまっている当たり前の事実を、著者や先進的な刑務所制度に取り組む人々は改めて提示する。

 

人間は、立派な人間として尊重されれば社会と調和した善良な市民となるが、ろくでなしとして侮蔑され虐待されれば人格が荒廃した犯罪者と成り果て社会に危険を及ぼすようになる。

 

アメリカ型の刑務所の囚人が強制される過酷な境遇は、もし同じ境遇が一般人に与えられたとしたら、明らかに人権をないがしろにした犯罪的虐待である。

 

司法制度の名のもとに、新たな実質的犯罪の被害者を再生産し、さらにそれが犯罪被害の減少に寄与していないとしたら、そんな実効性のないばかりか有害ですらある司法制度と、それを許容し称揚する社会はどこかが間違っていると著者は訴える。

 

表題の「囚われし者たちの国」とは、刑務所の囚人たちの境遇を表すと同時に、そのような司法の名のもとに実行される明らかな人権蹂躙を無批判に良しとして疑問視せず、暗黙の了解として無意識に是認してしまっている利己的な人々と、その人々の無自覚から成り立つ誤った社会を指す痛烈に皮肉でもある。

 

刑務所の実態を通じて司法制度の在り方を、ひいては全市民の無自覚に歪んだ人権意識から成り立つ残酷な社会をあらためて見つめなおす契機になる一冊。