ざっくり雑記

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時が止まった部屋 遺品整理人がミニチュアで伝える孤独死のはなし

現役の特殊清掃業者である著者が、現場で遭遇した孤独死の実態をミニチュアという表現手法で伝えるルポルタージュ

 

著者が従事する特殊清掃とは、事故や病気による突然死や自死など、様々な原因によって死んだ人の遺体の発見が遅れて長期間放置され腐敗に至った結果、ひどく汚染された施設の原状を回復する作業全般を指す。

 

また、清掃に付随した遺品整理も請け負っている。

 

発見が遅れた人の中には、死んでから2年経過した例もあり、人里離れた秘境ならともかく、普通に大勢の人々が暮らす街中の家屋の一室に、2年もの間遺体が放置されていて誰も気づかなかったという事実には驚かされる。

 

腐敗に伴う悪臭や漏出した体液など、周辺への甚大な被害を及ぼし認知されざるを得なくなる段階に至るまで遺体が発見されずに放置されるという、にわかには信じがたい異変の原因は、生前、社会と没交渉にあった死者の孤独な生活形態にある。

 

それゆえ、特殊清掃を要する部屋の主である死者の死のほとんどが孤独死であるのは当然となる。

 

数多くの特殊清掃の現場=孤独死の現場に深く関わり、一人の人間が腐り果てるまで放置される孤独死という現象を、身近で深刻な社会問題として重大視するようになった著者は、葬儀業者が一同に会するイベントなどでその実態を訴えるようになった。

 

だが、孤独死問題を象徴する悲劇的結末である、「腐敗した遺体とひどく汚染された部屋」というコンテンツは、比類ないメッセージ性を備える反面、日常的な感覚からすれば強烈な嫌悪感と不快感を催しても無理のない不潔でおぞましいビジュアルである。

 

著者もそれは重々承知していたので、刺激を和らげるべく、構図や被写体の選択を工夫して直接的な惨状の描写を避けた写真を説明の教材としていたが、それでもなお生々しすぎて大半の人々には受けが悪く、孤独死の実態を広く世間に周知して問題意識を共有する当初の目的を果たせずにいた。

 

そこで著者は、問題の核心とメッセージ性を損なわずに孤独死問題の生々しさを軽減する表現手法のアイデアとして、特殊清掃現場のミニチュアの展示を思いつく。

 

本書には、典型的な孤独死のパターンをわかりやすく強調した8つのミニチュアの写真とそれぞれの解説、そして著者の思いがつづられている。

 

ミニチュアはとにかく驚異的なほど精巧で表現力豊かであり、アパートの部屋の片隅に転がった使用済みの割りばし一本、丸めて捨てられたチラシ一枚に至るまで丹念に作り込まれ、そこにいた死者の生活や置かれた状況がありありと立ち上がってくる。

 

同時に、腐敗した遺体の痕跡も、現場に携わった人間にしかわからない高い水準のリアリティで丹精込めて表現されており、生活感溢れる室内の様子と対照的な酸鼻を極める死後の惨状が、ミニチュアの狭隘な世界に仲良く同居し凝縮されている。

 

どこをとっても一切の妥協が見当たらず、死者の人生が鮮明に克明に浮き上がってくるミニチュアの稠密な造作からは、孤独死を遂げた死者の無念や寂寥を余さず拾い上げて具現化し、生前、遂には果たされなかった社会への存在証明をいくらかでも代理しようとする、著者の執念じみた熱意が透けて見える。

 

想像に難くないが、特殊清掃の現場は過酷らしい。

 

「おわりに」で、「百人中、九十九人くらいの割合で」辞めていく人が後を絶たない業界という著者の表現からも、そのすさまじさが十二分に伝わってくるが、各ミニチュアに付された解説には、不思議とそういった過酷な業界の雰囲気はなく、記述の背後には、ただただ死者の人生への厳粛な敬意が通底している。

 

特殊清掃という世間と疎遠な業界のグロテスクな実情を知りたいという下世話な出歯亀的好奇心から本書を手に取ったが、終始一貫して著者の文章に漂う真摯な雰囲気に打たれて、読み進めるうちにこちらまで厳粛な心持ちにならざるをえなくなってしまった。

 

特殊清掃の実情と、孤独死という現代社会を蝕む分断化の宿痾について理解を深めるとともに、死者との真摯な向き合い方も学べる一冊。