脳便秘解消……本『新版 ずっとやりたかったことを、やりなさい。』
概要
万人が漏れなく有しながら、大抵の場合抑圧され、発揮される機会を失って久しい創造性を解放する具体的方法を提示した自己啓発のロングセラー。
モーニングページ
本書を実際に読むまでには、その存在を知ってから多少の間が開いた。
まず、たまたま本書の内容を抜粋して要約したyoutubeの解説動画を見たというのが、本書を知る最初のきっかけだった。
そこで紹介されていた「モーニングページ」という創造性回復を謳う手法を試し、効果を実感していたく感銘を受けたので、改めて原本を読んだという、やや逆転した経緯となる。
創造性回復というテーマに対し、様々な考えや、その方法を提示しているのだが、正直、モーニングページという手法だけで、本書の価値の9割を占めている気がする。
あくまで個人的な実感なので、その他の部分に価値がないとか、そういう意味ではない。
むしろ隅から隅まで興味深く読める内容と文面で、普遍的で全人的な、創造性の抑圧という重大な問題の解決に資する有用な思考法や具体的手法が詳細に、かつ分かりやすく解説されており、二十年以上経っても根強い人気を誇り、版を重ねていることが否応なく納得できる、紛れもない名著だ。
内容が充実しすぎていて、現在の自分の立場では、その全てを消化しきれなかったというのが正直なところだ。
今後研鑽を積めば、今の時点では消化しきれない部分についても、取り組む余裕が出てくるかもしれない。
脳便秘
肝心のモーニングページなのだが、やることは非常に単純。
朝起きたらすぐにA4のノートを開き、思いついたことを端から全部、3ページ分書くという作業だ。
これを毎日休まず実践する。
たったこれだけの、やや分量の多い日記のような、特別な道具も技能も必要としない、取り立てて変哲の無い作業なのだが、これが驚くべき効果を発揮する。
本書の中では、この作業を「脳の排水」に例えている。
モーニングページは、とにかくどんな文章を書いてもいい。
その時、その瞬間に思いついたことを全て書き出していく。
前の日の出来事でも、最近読んだ本の感想でも、ちょっとした思い付きでも、仕事上の失敗の反省でも、適当にでっち上げた嘘八百でも、とにかく何でもいい。
もちろん、何も思いつかないこともあるだろうが、そんな時は、「何も思いつかない」と、何度も何度も、何か思いつくまでしつこく繰り返しても構わない。
本当に、書きたいことを書けばいいし、書きたいことが無くても、書けることを書けばいいのだ。
とにかく書く。
A4ノート3ページを埋め尽くすまで、何でもいいからひたすら書き込む。
こんな単純な作業をするだけで、頭がすっきりする。
人間、何は無くともいろいろなことを考えている。
一説では数万にも及ぶという膨大な量の雑念を、少しでも排出して頭の中を片付け、空いた容量を創造的で生産的で建設的な思考に充てようというのが、モーニングページの目的だ。
これがとにかく気持ちいい。
本書が取り上げる「創造性」という言葉には、いわゆる芸術的才能というニュアンスが多分に含まれている。
絵描きや詩人や建築家や陶芸家や脚本家や役者や小説家といった人間を支える創造性の源を解き放つことを目的とした様々なワークを、モーニングページの他にも紹介している。
実際のところ、モーニングページを初めて三か月以上経つが、本書が謳うような、芸術的な創造性はおろか、より広範な意味での、日常生活や実務面における創造性も高まったような実感はない。
だが、本書が称える世界や人生に変革をもたらす画期的な創造性の向上が果たされずとも、私にとって、モーニングページは抜群に素晴らしい効果をもたらしている。
まず、何を書いてもいいという、究極的な寛容の精神が素晴らしい。
日々頭の中に浮かんでは消えていく膨大な雑念のほぼ9割9分が、脳より外に出ていかない。
中には、一緒に働く同僚や、たまたま出かけた先で隣に居合わせた赤の他人に、言いたいことや教えたいことなども含まれる。
言いたいのに言えないというのは、思考の内圧を高める。
表現されなかった思考は、頭の中で堂々巡りを繰り返すこともあれば、他の思考に押し流されて消えてしまうこともある。
だが、たとえ消えてしまっても、表現されなかった思考は、抑圧された際に感じた不満の残滓を残し、その残滓は少しずつ蓄積して、思考の容積を圧迫していく。
本書では、この表出しなかった思考の残滓を水に例えて、モーニングページを「脳の排水」と例えているが、私の主観的イメージはやや異なる。
私の頭の中に詰まっているのは、外に出られなかった思考のカスが、長年蓄積して、腐敗し、見るも無残に溶け崩れ、悪臭を放つようになった醜悪な泥濘の海だ。
平たく言うとうんこだ。
いわば私の頭は、思考の便秘、脳便秘とも言うべき状態に、何十年ものあいだ陥っていた。
モーニングページは、この長年蓄積した思考の宿便を一挙に噴出させことごとく洗い流す、脳の下剤、それも飛び切り強力で即効性のある特効薬となってくれた。
モーニングページを初めてしばらくすると、その効果が覿面に現れてきた。
この効果は、モーニングページの考案者である著者が意図するものとは若干ずれているかもしれないが、そんなことはどうでもいい。
創造主の意図とは違った用法・用量で応用・重宝される道具など珍しくもない。
私にとって、モーニングページはそんな道具の一つだ。
まず、言いたいけど言えないこと、世の中に公言するには様々な理由により憚られる、妄言珍言駄言の類を、全部吐き出していい場所を得られたことが何よりも大きい。
モーニングページは誰かに見せることを前提としていない。
むしろ見せない方がいい。
誰かに見せるということは、他人の評価の目にさらされるということで、それは人の創造性を強力に抑圧する。
なので、誰にも見せない。
創造性が誰の批判にさらされることも無く、安全に安心して自由に羽を全開にして伸ばせる場所、それがモーニングページなのだ。
王様の耳はロバの耳という寓話があるが、その寓話の主人公が図らずも知ってしまった王様の秘密を吹き込んだ穴が、モーニングページに当たる。
言いたいことを全部言うというのは、それだけで気持ちがいい。
思考を具体的な言葉に翻訳して、それを紙面にボールペンで字に変換して書き出すという作業自体が気持ちいい。
頭の中で考えることと、実際に形にするのでは、意識の上で雲泥の差がある。
ほんのひと手間、一つの行程を経るだけで、頭の中を圧迫していた内圧が一気に吐き出されて、すっきりとした解放感に癒される。
書き出すという作業は、思考の外部化だ。
外部化されない思考は、意識しなくても記憶容量を圧迫する。
とりあえず外に出して記録として残した、という認識が、その思考を記憶から追い出してくれる。
これだけで、思考を保持するための堂々巡りが解消され、頭の容量が増える。
更にモーニングページには、言葉にならないけど、確かに存在する、言葉未満の曖昧な雑念まで、言語に結晶化させる作用もある。
モーニングページ実践の要点として、A4のノートという、日常使いにしては大きめのノートを用い、しかもそのノートを3ページも埋めるという条件が付いている。
B5でもA6でもなく、1ページでも2ページでもなく、A4ノートを3ページというのがミソだ。
大雑把に計算してみたところ、私の使っているノートだと、改行せずにひたすら書き込むと、少なくとも4000文字以上になる計算だ。
400字詰め原稿用紙10枚分の文章を毎朝書くというのは、職業作家でもない限り、なかなか体験できない作業量だ。
慣れれば苦にならないかもしれないが、慣れないうちは、書き出して程なく書くネタが底を尽き、行き詰まる。
それでも無理矢理書く。
乾いたぞうきんを絞るように書く。
すると、脳内に漂っていた、曖昧で薄弱なイメージが、ノートの紙面を埋めなければという強力なプレッシャーによって圧縮され、凝集し、遂に明確な言語として結晶化する。
この結晶には、たびたび驚かされる。
こんなことを自分は考えていたのかと、意表を突かれる想念が、ノートの罫線の間に、忽然と顕現するのだ。
自分の中から出てきたものであるのは間違いないのに、まるで自分のものとは思えない、そんな不思議な言葉と出逢うという、奇妙奇天烈な体験を毎朝のように味わうのは、自身に対する退屈に日々うんざりしている中年男性にとっては、毎日サプライズプレゼントを貰うような喜びだ。
サプライズプレゼントというのはちょっと語弊があるかもしれない。
せっかくうんこに例えたのだから、ここでは、理想的な形状と質感のお通じに毎朝恵まれる喜びになぞられておこう。
うんこ自体は、出した途端に間もなくそのまま下水に流されてしまう、高度に都市化された現代では大した生産性の無い代物だが、出なければ腹が張り、体に毒素が蓄積してしまうし、出たとしても、その性状が悪ければ、健康上の問題を示唆する凶兆にもなりうる、人の生活において、かなり重要な位置を占める生理現象だ。
モーニングページを始めて、思考にも糞便と同じような性質があるのだと気付かされた。
これまで自分が健康だと思っていた頭の状態は、実は恐ろしいほど長期に渡る頑固な便秘だったのだ。
あまりに長い間、異常な状態が続いてしまっていたので、それを平常と誤認してしまっていた。
モーニングページのお陰で、本当の健康な精神状態というものを、もしかしたら、物心ついてから初めて体感できるようになったのかもしれない。
このうんこを創造性と認知するのは、少なくとも今の私には非常に困難な業だが、例え生産的でなくとも、健康的であるのは何事にも代えがたい利益だ。
便秘解消のために温浴やお腹のマッサージを励行するように、これからもモーニングページは続けるつもりだ。
もしかしたらいつの日か、うんこではない、創造性と看做して憚ることのない、何か価値あるものが生まれるかもしれないと、淡い期待を胸に抱きつつ、明日もノートをひたすら埋めていく。