ざっくり雑記

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孤独の科学

孤独を科学的に研究し、その正体や性質、健康や人生への影響を深く掘り下げる。

 

この本で問題とし、研究の対象となっている孤独とは、主観的な孤独である。

 

つまり、ある人がどれだけの人々と、どれくらい通じ合っているかという数の大小や相互理解の深浅といった客観的に計量できる現象ではなく、あくまで本人が孤独であると感じているかどうかによるものである。

 

大勢の人に囲まれた陽キャでも本人が誰も自分のことをわかってくれないと孤独感に苦しんでいれば孤独だし、深山幽谷に引きこもり何十年も人と会ってない隠者でも孤独感を感じていなければ孤独ではない。

 

なぜ孤独をこのような科学で取り扱いにくい主観的な現象として定義するのかというと、客観的な孤独ではなく、主観的な孤独感こそが人間に影響を及ぼす真の孤独だからだ。

 

生まれてから死ぬまで誰とも会わず誰とも一切交流しないというような、客観的に見て極端すぎる孤独はもちろん有害極まる地獄であるのは明白だが、そこまで極端ではない事例を比較したところ、客観的な孤独は対象者の幸福感や人生の豊かさに大きな影響を与えておらず、一方で主観的な孤独感は、明らかに人生の質や健康面に大きな、そして悪い影響を及ぼすことが多くの研究から判明した。

 

また、孤独感の感じ方にも個人差があり、生まれつき孤独感を感じやすい人と感じにくい人がいる。

 

だがどちらにしろ、孤独感を感じた場合の悪影響は同じだ。

 

原始的な生活において孤独感は、生存に有利な群れへの参入を駆り立てる有意義な衝動だった。

 

だが社会制度やテクノロジーが原始時代とは一線を画し、人間同士の交流や組織の力学が人口の増加と文化の高度化によって複雑に発展し、現在進行形で目まぐるしく変動する現代社会では、孤独感がもたらす本来一時的な内向的性質の増進が、社会への再合流を著しく阻害し、客観的な孤独を解消できないことで慢性的な孤独感を抱える状態へ移行しやすくしてしまっている。

 

孤独感は、主人を群れへ取り入る行動に駆り立てる鞭として、多種多様な不快な生理現象を用いる。

 

それらの不快な生理現象は本来一時的なもので、主人が群れに無事参入できればすぐに解除され、悪影響は残らない。

 

だが前述のように社会への再合流ができず、孤独感が慢性化すると、この不快な生理現象もまた慢性化し、健康や認知能力を深く蝕み、ただでさえ難しい社会への参入をさらに困難な状態へ追い込むという悪循環を形成してしまう。

 

本来有益であったのに、社会環境の急激な変化に不適応を起こし、有害となってしまった孤独感がもたらす多方面にわたる多種多彩な悪影響や危険性について、本書では数々の研究を通じて一つずつつまびらかにし、最後にそれらの研究成果から導かれた孤独感への対処法を論ずる。

 

幸いなことに、孤独感は最新の医療技術を用いても解消できない不治の病ではなく、心がけ次第で自力でも治療可能な精神状態であるという。

 

何よりも社会的な交流がその特効薬だが、それは些細な心のふれあいでも劇的な効果を発揮する。

 

逆説的だが、孤独感が要求する他者からの援助は孤独感を解消できず、一方で他者を助けるような能動的な社会的活動が孤独感を歴然と改善する。

 

もちろん孤独感によって消極性が増幅し、内向的になっている人間が社会的な活動に踏み出すのは困難だが、コンビニでお釣りをもらうときに店員に返事を返したり、道行く人に挨拶をしたりといった、些細な活動を着実にこなすことで、徐々に、だが確実に孤独感は解消されていくという。

 

グローバル社会がもたらした反作用的文化衝突や、COVID‐19対策の外出自粛、高度情報化社会が拡大する誹謗中傷など、人々を分断へ追いやり、孤独感を醸成する温床となる風潮が隆盛を極める昨今、本書はその危険性を周知する警鐘の役割を担えるかもしれない。